日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅36 朝比奈隆 この響きの中に

●この響きの中に 朝比奈隆 実業之日本社 2000年

指揮者の書いた自伝を読んだのは二冊目だ。一冊目は小澤征爾による「ボクの音楽武者修行」だった。桐朋学園斎藤秀雄氏に指導を受けて、スクーター一台ともに貨物船でフランスに渡りブザンソンのコンクールで優勝する。そこからミュンシュカラヤンそしてバーンスタインらの大巨匠に次々と指導を受ける。そしてボストン交響楽団指揮者へとステップを登っていくさまは若き日本人青年が西洋音楽という異文化に臨み育っていく姿としてとてもいきいきと書かれていた。そんな小澤征爾氏のタクトには一度だけ触れることができた。シヤンゼリゼ劇場でフランス国立管弦楽団を率いてのベルリオーズ幻想交響曲、そしてラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌだった。豊か色彩と全身から放たれるオーラに僕も娘も釘付けだった。

小澤征爾以外に海外でも棒を振っている日本人指揮者といえは誰が頭に浮かぶだろう。多くいらっしゃる。佐渡裕井上道義若杉弘秋山和慶あたりか。あ、大御所朝比奈隆もいらっしゃる。朝比奈隆の名前を知ったのはこの二十年前だろうか。ブルックナーの大家として紹介されていた。オケは大阪フィルで勉強不足から余り聞こうと思わなかった。サイトウ・キネンや水戸室内管弦楽団ならともかくも日本のオーケストラというのがピンとこなかったのか。しかし自分は今ではNHK交響楽団を一番良く聞きに行くではないか。気楽に安く聞けるのでありがたいのだった。

ブルックナーにはオイゲン・ヨッフムがシュターツカペレ・ドレスデン、それにベルリン・フィルを振った二つの全集がある。この老マイスターの録音の新しい盤である前者に没入しお腹が一杯だったので他の演奏が入り込む余地も無かったのだ。どれもが1時間を軽く超える音の大伽藍には神への祈りを感じる。夢中になった。

さて朝比奈隆氏の著作だ。自伝として書き下ろしたというよりも雑誌などへの投稿記事をまとめた本だった。しかし小澤征爾の著作と同じようにわかりやすい構成で読み進めた。このあたりは指揮者の書く文章として共通するものがあるのだろうか。複雑なテクストを解明し可視化し楽団員に道しるべを示すのがするのが指揮者の仕事だろうから。心に迫る言葉がいくつかあったので引用したい。

若き指揮者として思った事:欧州と日本の音楽の音楽水準は確かに比較にならぬが、それは歴史的にも仕方がない。しかし肉体的条件に支配されることの少ない精神的な仕事では日本人は決して遅れない。と書かれていた。これほど日本人表現者を勇気づける言葉ないようにも思えた。ヨーロッパ各地の名だたるオーケストラや歌劇場から招聘を受けるようになった氏はベートヴェンやシューマンのシンフォニーを振りヨーロッパ各地で名を高めていたという。また、氏はベートーヴェンの第九を絶賛している。「バッハが信仰の造形でありモーツァルトが天上の理想であるならばべートーヴェンは人間の全てである・地上の全ての罪を背負った人のような彼は全身全霊をモって音楽におけるヒューマニズムの夜明けの為に十字架に登った」と。

彼の有名な仕事であるブルックナーのシンフォニーについてのきっかけは意外だったが、凄い経験だと思った。彼はたまたまベルリンでベルリンフィルの演奏するブルックナー第四番の演奏に立ち会えたという。指揮者はなんとレジェンドであるウィルヘルム・ウルトフェングラーだったという。演奏会後にフルトフェングラーを訪ね、自分も帰国したらブルックナー九番を指揮します、と伝えたらただ一言「原典版」で。と言われたという。ブルックナーは自信が無かったのか求める水準が高かったのか、一度作った交響曲に対して何度も改編を試みており、友人達もそれに加わっている。原典版に加え、ハース版、ノヴァーク版、などだろう。ヨッフムは全集をノヴァーク版や原典版を混ぜている。愛聴しているカラヤンはセルはどうなのだろう。さて朝比奈氏の全集に少しだけ触れたくなった。まずは大好評を得たというブルックナーの眠るオーストリアはザンクト・フローリアンカトリック修道院でのライブ演奏の七番だろうか。

外見の良く似た?と勝手に思っているオイゲンヨッフム原典版による演奏は六番らしい。自分が最初に聞いたブルックナーはまさにそれだった。すると僕はあのフルトフェングラーの教えに触れたのだろうか、と嬉しくなってしまう。そのヨッフム氏も朝比奈氏ももう鬼籍の人となった。彼らの残した録音も書籍も永劫に残るだろう。

何故か接点のなかった朝比奈隆氏。まずは文章から。録音はこれから。

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