日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

簡潔に追悼

小澤征爾氏が逝去された。八十八歳。今晩のニュースを見ていて知った。食事時、思わず箸が止まった。

娘からすぐにラインが来た。「パリで観た時凄かったね、残念」とあった。当時小学生だったのだが彼女はよく覚えていたのだろう。シャンゼリゼ劇場の最上階のボックス席から見た。直前でチケットが取れた時は信じられなかった。演目はベルリオーズ幻想交響曲、そしてラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌ。二曲のフランス物だった。フランス国立管弦楽団から豊かな音色と迫力に満ちた音を導き出していた。オーラに満ち溢れエネルギッシュな指揮姿は2007年10月4日だった。

小澤征爾は長くボストン交響楽団音楽監督を務めていた。このオーケストラを全米ビッグファイブ迄に育てたのは彼の功績だろう。ただ自分はヨーロッパのオーケストラの録音に拘りがあったのであまり小澤征爾指揮による録音に接することは無かった。彼の若き時代の自叙伝「ボクの音楽武者修行」(昭和55年・新潮文庫)は何度も手に取った。あとがきには昭和三十七年と書かれている。小澤氏二十七歳の時の文章だった。斎藤秀雄氏の薫陶を受け氏の元で音楽を学び、二十四歳でスクーター一台を貨物船に載せてもらい伝手もなく単身フランスに渡る。昭和三十年代にそんな日本人は居なかっただろう。さまざまなコンクールに入賞し、やがてシャルル・ミュンシュカラヤンバーンスタイン、そんな大巨匠に師事する。聳え立つ大伽藍の様な西洋音楽に飛び込んだ東洋人はやはりパイオニアだった。文庫本は破天荒なエネルギーと彼の努力の軌跡に満ちていて何故か自分はそこに魅了されていた。

小澤征爾の録音を自分が聞き始めたのは彼が2002年にウィーン国立歌劇場の監督に東洋人として初めて就任してからだろう。その年のウィーンフィルニューイヤーコンサートの録音は発売と同時に買ったがワルツとポルカが躍動し魅力的だった。自分の音楽的嗜好が広がりフランス音楽になってようやく聴き始めた。シャルル・ミュンシュ直系ともいえるのだから色彩豊かだった。

彼は若手育成の意味も兼ね恩師斎藤秀雄氏の門下生を中心としたオーケストラを二つ組織した。サイトウ・キネン・オーケストラ、そして水戸室内管弦楽団だった。長野県松本市をベースとするサイトウキネンはいつか聴こうと思っていたがまだ機会は無い。茨城県水戸市をベースとする水戸室内管弦楽団は生で聴く事が出来た。とても好いオーケストラだった。

彼が残した沢山の録音を自分は一握りも聴いていない。それはまだまだ知らない世界があるという事だった。少しづつでも触れる事が自分にできる事だろう。素晴らしいお土産を沢山残して頂いた。感謝しかない。

彼の著作の冒頭の一文は今も通用する。誰もがそうありたいと思うだろうから引用させて頂く。<<全く知らなかったことを知る・見るという事は実に妙な感じがするもので、僕はいつもシリと背中の間の所がゾクゾクしちまう。>> 彼はこの気持ちで新しい事に臨んでいったのではないかと思う。見習いたい、大切な姿勢ではないか。

彼がボストン交響楽団と残したラヴェル・亡き王女のためのパヴァーヌを聞きながら、一音楽ファンとして簡潔に追悼したい。

何度も手に取った「ボクの音楽武者修行」。一番最近買った彼の録音はサン・サーンスの交響曲第三番「オルガン付き」(フランス国立管弦楽団)。壮麗なオルガンと共に豊かな音が広がる。

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