日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

幸せのホルモン

がん病棟での日々。学生時代の仲間がすぐにグループラインを作ってくれた。自分は一方的にくだらない投稿を毎日山のように書いていた。脳にメスを入れて人格が変わったのか、止まぬ不安への裏返しなのか、それは凄まじいエネルギーだった。40年前の仲間たちなのだから話題は無数にあった。友と過ごした失敗と後悔の日々は笑い事になって楽しい記憶しか無かった。

当時の友や自分の失敗を漫画に書いたりして一人悦に入っていると何故か可笑しすぎて笑い涙が出た。看護師さんの一人がその絵についての解説を求めるのでエピソードを話しているうちに懐かしさと楽しさと、何故か淋しさが混ざりあい涙が滂沱のように流れるのだった。カーテンの向こうからは隣のベッドの苦しそうな呻き声なのに。

看護師さんは言う。沢山笑って、嬉し泣きしてくださいね。それらはオキシトシンセロトニンを脳の中に沢山出すのですよ。幸せホルモンで病気は飛んでいきます。確かに。思い出した。適応障害で悩んでいた頃に処方されていた薬はセレトニンの血中濃度を上げるためのものだった。

僕は更に笑い泣けるようにと、もう何度も通して見てきた映画「男はつらいよ」シリーズ48話全話を病床で見始めた。毎日くしゃくしゃになった。車寅次郎は一見粗暴でがさつに見えるが実はとても繊細で優しい。映像の風景も懐かしい日本のものだった。

それらのおかげで今がある。退院してから自分は何でも笑い事にしてしまおうと心がけている。必ずしもそうはならぬが、思いはある。失敗も笑い飛ばして腹の皮がよじれるほど笑えば幸せホルモンが出るだろうと。

慌てて外出した。車に乗ろうとしたら足の感覚が可怪しい。足元を見ると左右で違う靴を履いていた。

社会の窓」を開けっぱなしのままで歩いていた。チャックからシャツの裾が出ているので気が付いた。

風呂屋で長き習慣から日替わりの男湯と女湯に気づかずに女性更衣室に行ってしまった。ギャーと叫ばれた。

すべてが笑えた。更に面白おかしく話をすると家内も笑うのだ。

今朝はこれだった。髪の毛が耳にかかることを自分は嫌う。バリカンはこれまで我が家の犬のトリミングで使い慣れていた。抗がん剤治療が始まるときには、ならば、とそれを使い自分で頭を丸刈りにした。今回は床屋に行くのも面倒なので裾だけを三ミリ刃のバリカンでカットした。すると裾は刈上げ、上だけが長いという面妖な髪型になった。繕うために今度は六ミリ刃を入れた。鏡を見ながら横は納得がいった。しかし後ろは見えないので手を伸ばして適当にやった。妻に見せたら大笑いだった。なんと後ろはサザエさんのタラちゃん状態だという。タラちゃんはカットラインが鉢巻がごとく綺麗に揃っているが自分のは割れたゆで卵のようにギザギザだという。しかもそれは横だけで頭のてっぺんは禿げているので波平さんだった。磯野家の祖父とフグ田家の孫の髪型を独りで体現しているのだった。これは今日の絶好の笑いネタだった。職場は流石に大人ばかり。反応がないので自慢した。すると誰もが僕の肩を叩いては、大笑いだった。

これで自分にも家族にも幸せホルモンの今日の規定量は分泌されただろう。職場にもおすそ分けした。明日は何をしようか?失敗はすべてをギャグにするのだ。笑えば飛び出す幸せホルモン、沢山出そうではないか。

笑えば幸せホルモンが出るだろう。すると寒椿でも咲いていつしか冬も終わるだろう。年中笑うと良いのだ。

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