日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

高原の駅ピアノ

音楽が常にあるという事は素晴らしい。口ずさんでも良し、頭の中に流れているだけでも良し、もちろん演奏しても良し。エア指揮も良し。音楽は何らかの風景や思い出を頭の中に再現する。そこから自分の想像力は広がり、小さな旅が出来る。裏を返すと音楽のない生活はつまらない。音楽と言っても駅の電車の扉が閉まる際のメロディ、パチンコ屋の店内の音、ゲーム機から出てくる音、あれらは神経を只不愉快にさせるもので、音楽ではなく大きな雑音だろう。

数年前もここで素敵な演奏を聞いたな、と思い出した。とある高原の駅だった。ここには駅の二階ホールにアップライトピアノが一台置いてある。いわゆる「駅ピアノ」だった。今日もそこに演者さんがいらした。初老の男性だった。あの時はバッハの平均律上巻第一曲のプレリュードを弾いていたのだがあれは一音一音を確かめるように、まさにバッハの作った音楽をそのまま織物のように行きつ戻りつ弾かれていた。今回は違っていた。パッヘルベルのカノンを弾かれているのだった。数年前の方の容姿年齢など記憶にはないが別人かもしれなかった。随分と弾き馴れている感じだった。

丁度昼時で自分は同じ階にある立ち食いソバ屋で昼食を摂っていた。パッヘルベルが終わりそうになったので箸をおいて中座した。まだ続きそうだった。曲はポップスに変わっていた。ビリー・ジョエルピアノマンラグタイム風に崩した感じで弾いていらした。それもまた良かった。慌ててソバをかき込んでから自分の名刺を渡した。名前とメルアド、ブログアドレス、携帯電話番号。それに愛犬の手書きイラストを描き加えたものだった。その裏に書いた。「素敵なパッヘルベルありがとうございました。ピアノマンも良かったです!」とだけ書いた。彼は一瞬指を止めて名刺を見て肯いていた。表現者のパフォーマンスの途中を遮るとはひどい男だったと反省した。

その気がおありなら名刺から連絡を取って頂く事も出来る。来ても来なくても良い。はっきりしたことはこの高原の駅には音楽が満ち溢れているという事だった。それが駅だけに満ちるというのも不自然で、音楽は空気のようにこの空気の澄んだ高原全体を支配しているのだと思った。

心のどこかで期待している。今度また駅ピアノやりますよ、あるいは何処かの市民ホールかもしれない。そんな風の便りを。なんとも楽しい話だと思った。

高原に豊かなピアノの音が響く。ここは音楽が溢れているのだろうと思う。(写真は二年間のお方)

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