日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

音には彩があり、舞う。ランチタイムオルガンコンサート

日本に帰国してこの10年以上、じっくりと音楽を聴いたことは余りなかった。

欧州に住んでいた頃は多忙でもあったが環境が良かった。名だたるオーケストラが頻繁に演奏会を開き、学生時代からレコードやCDで聞いてきた指揮者達がそれを率いる。それも当日で数十ユーロでチケットが買えた。それぞれのオーケストラの持つ伝統の音に酔った。彼らが日本に来たら、チケットの金額は間違えなくケタが上がる。そもそも、そんなに来日しない。だから仕事の合間を見ては聞き逃してはならじ、とホールに足を運んだのだった。また教会をふらりと覗けば、そこで開かれるオルガンやピアノリサイタルのチラシが置いてある。市井の演奏家。どれも素晴らしかった。音楽が日常の中に溶け込んでる、それが欧州だった。

この1から2年、自分も変わった。病を得てフルタイムの仕事も離れ時間が出来た。自分自身を見直す時間が増えた。好きな音楽に、少し時間が経って帰ってきたのだと思う。いや、社会人だった頃は何かに追われ、ゆとりがなかった。時間のかかる音楽を聴く事も、余裕そのものもなかったのだと思う。

今の職場は地元に根差しているためか、様々な地元の小さな活動の情報が目に届くのだった。そんなものに興味を持ったらすぐに足を踏み込むのだ。なんと、県民ホールでパイプオルガンの演奏会がある!ランチタイムコンサート、500円とは破格だな。自分が気づかなかっただけか、日本にも街に音楽が溶け込んでいたのか。早速家内を誘って会場へ出かけた。

プログラムは20世紀のフランスの現代音楽作曲家、オリヴェイエ・メシアンの没後30年にあたるということで、その作品を軸とし、メシアンを取り巻く作曲者の曲も交えるという選曲だった。オルガンといえば、まずは無数にあるバッハのオルガン曲。サン・サーンスはシンフォニーにオルガンを取り入れたり、そもそも教会のオルガン奏者であったブルックナーの作品。その程度しか聞いたことがなかった。

現代音楽、しかもフランスの音。。。メシアンヴィドール、デュリフレ、デュプレ、トゥルヌミール・・知らない作曲家ばかりだった。バッハのカンタータBWV140「目覚めよと呼ぶ声あり」を取り入れたヴィドール作品は馴染みあり聞きやすかったが、あとは、自分には捉えどころもなくつかみずらい音楽だった。曲ごとに演奏者による解説がありそれが興味深いものだった。対位法、グレゴリオ聖歌、そしてフランスの和声。これらが融合された曲や、即興演奏の形態を取り入れたもの。また、楽譜から小節を取り払い、拍の無い音楽に至ったものもある・・。

オルガンの音は繊細でもあるが空気を大量に取り込むとすさまじい低温も響く。その響きに自分は、打たれた。聞き馴れた対位法・・異なる旋律が有機的に結合して膨らんでいく、厳格な世界。そんなバッハの世界とは無縁で、同じ楽器とは思えない。今日のオルガンは奏者によって好き勝手になる気ままな音が自由に踊るかのように聞こえるし、そのどれもが明るい色彩に満ち溢れる。捉えどころがないと言えばその通り。相手は移り気な陰影を持った音だから、掴むことはできないし記憶に残る事もないように思えた。ラヴェルピアノ曲にありがちな、戯れる音の世界をもっと鮮やかに、空気の中に放り投げたような世界が、そこにあった。音には彩があり、そして舞う。それはやはりフランスの音だった。理解するのではなく、感じればよいのではないか、などとも思う。

現代音楽は馴染みがない。フランス印象派ですらラヴェルフォーレドビュッシーの聴きやすいものしかしっかりと聴いていない。まだまだ自分の知らない音楽がある。はまるかはまらないかは分からないが、聞いてみないと先へ進まない。未知があるという事は、嬉しい事。そんな意味で素敵なランチタイムコンサートだった。

ランチタイム・プロムナード、オルガンコンサートシリーズVol394
演奏者 加藤麻衣子氏
於 神奈川県民ホール

このコンサートはシリーズになっており、次月はメシアンに加えバッハのオルガン曲もプログラムに含まれている。やった!今度はバッハか。「幻想曲とフーガBWV542」もやるのか。とても好きな曲だ。早速カウンターでチケットを2枚買ったのは言うまでもない。素敵な音楽は、実は自分の足元にある、そんなことにようやく気づいたのだ。

神奈川県民ホールは警察や消防の吹奏楽を聞きに来ていたが、小ホールには素敵なパイプオルガンが設置されていた。

演奏者の加藤氏、素敵な音を聴かせて頂いた。