日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅4・グレン・グールド 孤独のアリア(ミシェル・シュネーデル)

●「グレン・グールド 孤独のアリア」ミシェル・シュネーデル著。千葉文雄訳。ちくま文庫 1991年

信者とも言われるほどの根強いファンが未だに多くいるピアニスト・グレングールド(Glenn Gould 1932-1982)。脂の乗った32歳にしてコンサートからドロップアウトし外界との接触を極端に遮断しレコーディングや執筆活動に専心。録音のために持参する愛用の椅子他数々の愛用の品々・薬。度を越した潔癖症。レコードに針を落とすならピアノと共に聞こえる自らの唸り声。奇行の持ち主や変人とも語られる。

学生の頃何かの本で彼の存在を知った。興味を覚え手始めに買ったのはバッハのフランス組曲だったがこの二枚組のLPにすぐに魅かれた。

軽やかで躍動感に満ち溢れる彼のバッハはクラシック音楽は退屈だという自己のステレオタイプを瞬時に粉砕した。対位法を駆使したバッハの音楽は彼の手により左手の雄弁さが際立ち、音楽は極めて立体的な構築物となり自分を魅了した。

憑かれるように彼のLPレコードを集めた。バッハの録音で可能なものは全て入手した。膨大な彼の録音の中から無作為に抽出したものを聴き始めるのは今も昔も変わらない。

奇人・変人・独自の哲学者といった評判の奥にあるのは何なのか興味があった。音楽とは別に彼個人に対する興味があった。

図書室で彼に関する書があった。「グレン・グールド、孤独のアリア」。フランス人による著作の日本語訳だった。訳者の努力はかうものの複雑な構文と難解なメタファーは書を理解をしようという意思をしばし中断させた。書籍は彼のレコードデビュー作であり最後のレコードでもあったバッハの「ゴルドベルク変奏曲」の構成がそうであったように、序章と終章をアリアとみなし間に三十の変奏曲ならぬ三十章の考察があった。

・コンサートはそれに来るのが目的で音楽に没頭せず聴いたという実体験で満足する観客との間を遮断したかった。演奏会は聴衆の為であり彼らにより弄ばれれば聴衆の道具になってしまう。悪魔の奸計だ。
・際立つスタッカートと乾いたピアノの音、レガートと感傷的な感情表現を排し、音楽の構造を描く。右手の音楽を何よりも嫌う。
・自らの求める音のためにテクストを大胆に変更する。速度を分解する。
・ピアノという楽器のメカニズムの不完全さから、反ピアノ的に弾く。それでも満たされずに補完のために彼は演奏中に「歌わざるえを得なかった」
・人や社会との断絶の中に安らぎがある。北の国(生地であるカナダの北部)への憧憬。凍てついた大気を遮るガラス窓で見た孤独な自分の姿、そこに覚えた安堵。

難解な書から彼の音楽を紐解くための幾つかのキーワードをメモに落とした。演奏会からのドロップアウトはうなずける。音楽の骨格の美に光をあてたいという彼の思いがバッハを比類なき明晰な演奏にしているのはわかる。対位法の精密な再現に他ならない。が右手の音楽を嫌うという割には彼が残したブラームスの間奏曲集などは静謐な美に溢れているのは何故だろう。彼のモーツァルトに至っては徹底的に分解再構築され残念ながら聞く気にはならない。それは毀損ともいえるほどの解釈に思えた。これらの謎はこの書を読んでも解ったようで腑に落ちない。

グレン・グールドの音楽に少しでも近づけぬかと図書館にあった書を手にしたが結局何も近づけなかった。感受性の鋭さは分かったが孤高の天才は相変わらず自分の中で偶像化されたままだ。偶像を分解することなど意味もない話だった。いつまでもその位置でいてくれればよいのだった。

期限一杯借りた本は明日返却だ。彼が憧れた北の国の様に寒い冬の夜に、膨大な彼のバッハのアーカイブの中から今日は何を聴くか。この本の構成通りゴルドベルク変奏曲か。衝撃のデビュー作は37分の快速演奏で旋風を巻き起こしたが、彼の死後リリースされた最晩年の最後の録音では51分以上かけ、何かを悟ったか自己分解するかのようにゆっくりアリアを弾いている。どちらを聴くのだろう。

グレングールドに関する研究本は多いようだ。また違うものも読んでみよう。彼が録音したバッハの平均律BWV870は人類の英知としてそのディスクが宇宙船ボイジャーに載せられたという。異星人にも是非聴いてもらいたい。

https://www.youtube.com/watch?v=p4yAB37wG5s 遺作となった最晩年の演奏から