バッハの鍵盤曲はピアノとオルガンで聴き始めました。ピアノの作品はクラヴィアで演奏するために書かれており、そのクラヴィアは当時はチェンバロでした。ピアノが世に出る前の話です。ゆえ、ピアノで聴いている作品はチェンバロで聴くと、より当時の響きを感じます。・・すると、やはりピアノでずっと聞いてきたバロックのもう一人の作品群が想起されたのです。
ドメニコ・スカルラッティ。
手持ちの「名曲大辞典」(音楽之友社刊昭和60年版)を開いてみましょう。1685年とバッハと同じ生年。1757年没とはバッハより7年長生きした作曲家です。
スカルラッティはベネチア生まれ。イタリアの作曲家です。「名曲大辞典」によるとその作品のほぼすべてはチェンバロソナタになります。バロック時期にバッハに比肩しうる鍵盤曲を沢山作曲したのです。凄い話です。
スカルラッティの鍵盤楽器のソナタ。名盤と言えば自分の時代はこれ一枚。ウラディミール・ホロヴィッツによるソナタ選集です。CBSが出していましたがイチオシでした。彼はピアノでスカルラッティのソナタの録音を残しましたがその演奏はペダルを極力踏まないということでした。つまりレガートや残響を排し自分で制御できる範囲でスタッカートを求めた。チェンバロの音を意図したのでしょう。
何十年も、ずっとこれしか聞いていませんでした。素晴らしい演奏でした。もちろんその後で、クララ・ハスキル、そして「かの」グレン・グールドのスカルラッティに接しました。いずれもすばらしい世界です。同時代のバッハに比べると、バッハが「神への祈り」といえる禁欲的ですらある深い精神性と堅牢な構築美を築いているのに反して、スカルラッティはもっと「軽い」。バッハの様に深大な訳ではないですが、しかし負けない程の可憐な小宇宙があるように思うのです。
そんな思いを新たにしたのは、ホロヴィッツの演奏もさることながら、聞き馴れた彼のソナタをピアノではなくチェンバロで演奏している録音に接してからです。トレヴァー・ピノックやスコット・ロスなど20世紀後半の名手たちがフランスのエラートレーベルに沢山の録音を残したのだと記憶しています。それは自分がクラシックのLPやCDを集め始めたころ、1980年代の頃です。
同じチェンバロ局でも、バッハのチェンバロ(あるいはオルガン・ピアノ)曲よりもずっと軽い気持ちで聴ける、お洒落なサロン的な音楽に思えます。神への懺悔と祈りを常に感じさせるバッハに比べ、スカルラッティは清澄な思いと日常の歓びををストレートに楽譜に落としたのでしょうか。バッハのように魂の底から揺らぐ感動はなかなかありませんが、楽に聴ける。
ネットのアーカイブのお陰で自分が聞き損じていた音源に容易に接することが出来ます。都度、頭の中に一条、いやもっと多くの光が指すような興奮に満ち溢れます。これはありがたいことです。版権管理者には頭の痛い話かもしれませんが。
・・・雅なり。スカルラッティ。目をつぶって、チェンバロの音に身を任せます。これ以上の幸せはない。そんな気持ちがしてくるのです。
膨大なスカルラッティのソナタ。到底聞きつくせません。しかし複数の演奏家により演奏されている曲もあります。有名なのでしょう。いくつか記します。チェンバロが今回の話題ですが、最初にとりついたのがピアノでしたので・・双方挙げます。
作品番号KK9
Scott Rossのチェンバロにて https://www.youtube.com/watch?v=LrOSModPWtM&t=63s
Gkenn Gouldのピアノにて https://www.youtube.com/watch?v=tnWhE4kcWmc バッハ演奏で培った技を惜しみなく出しますね。
作品番号KK27
Scott Rossのチェンバロにて https://www.youtube.com/watch?v=uzCrPH8jOwM&t=151s
Emile Gilelssのピアノにて https://www.youtube.com/watch?v=zKywH1uc2l0 エミール・ギレリス。ロシアの産んだ鋼鉄のピアニスト、そんなイメージでしたが、この柔らかいタッチは違反です。。