日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

秋の夜長にフランス音楽 サンサーンス交響曲第3番

クラシック音楽と言うと「なんだかめんどくさそう」と構えてしまう人が多いとしたら残念だ。自分の入り口はバッハの幾何学的な対位法。そこからモーツァルトで無邪気さの持つ明るさと寂しさを感じ、ブラームスシューマンでの淡く・濃く燃えるロマンの愁いに酔い、ブルックナーでの神への祈りと宇宙的なエネルギーに打たれた。すべて、ドイツ音楽だ。いずれもすぐには良さが分からないのだろうか。確かに少しの時間の「忍耐」の類は必要かもしれない。アタリメのようなものか。

そんな中で、あまり「どうも苦手だな」という音楽もあれば、「聞きたいけど時間かかりそう」と敬遠するものもある。前者は自分にとってはスラブ系、それにマーラー。後者はオペラだろう。スラブ系は独特の「濃さ」がありどうも遠のく。マーラーは何故苦手なのか上手く説明できない。神経質すぎるのか、聞くと憂鬱になり肩が凝る。有名な第五番のアダージェットすら、ヴィスコンティの映画に使われなかったらどうなのだろうか。オペラは序曲であれば純粋に管弦楽として楽しいし、アリアは歌手の素晴らしさを味わえる。が、ドイツ語・イタリア語もわからずに聴く劇音楽も敷居が高い。舞台に触れてなんぼ、と言う世界だろうか。

実はフランス音楽もあまり聞く機会はない。ラヴェルフォーレ、一部ドビュッシー程度。スラブ系を聴かず、マーラーは毛嫌い、オペラも苦手、フランス系もあまり聞かない。もったいない気がする。

そんな訳で、まずはフランス音楽を聴いてみようと思う。夜半に意識を失い救急車で運ばれた病院でその病名を医師から聞いた時に「ああ脳腫瘍ですか。ラヴェルと同じ病ですね。彼の音楽を聴きたいな」と自分はひどくのんびりと答えたと、居合わせた家内と娘は言う。(*) そのように口に出るとはやはり好きだったのだろう。

僅かしか知らぬフランス音楽でもすぐに感じる魅力は色彩の豊かさだった。そこにはドイツロマン派のもつ憂いなどはなく、水彩画の様に描かれるフランスの田園風景が頭に浮かぶ。今風に言うならば「癒し」もある。しかし曲によってはめまぐるしく音は跳ね、様々な色を放ち、それを追いかけることも出来なくなってしまう。がそれもフランス音楽の世界なのだろう。

この色彩感は国民性から来ているのか。小澤征爾氏の著作「ボクの音楽武者修行(新潮文庫)」に興味深い記載があった。

「フランスからドイツで車で移動すると国境を越えたとたんに景色が変わる。家の建ち方も整然として関連性がある上に、家々もきちんと庭の隅々まで整理が行き届いていてその秩序に感心する。一方今超えてきた国境の向こう、フランスを思えば家々はバラバラに建っている。しかしそこになんともいえぬ柔らかさがある。」

またこうも書かれている。「フランスのオーケストラでの練習はタクトを止めて何かしゃべろうとしてもオーケストラの面々は各々おしゃべりを辞めない。一方でドイツのオーケストラはタクト一つでピタリと静寂になり指揮者の次の一言を待つ。しかし決してフランス人が指揮者を尊敬していない訳はなく、ただ個人のやりたいことを優先するのだ」と。

1950年代に同氏が感じたその気持ちは、両国に住んだ自分としてはよくわかる。自分も車で何度となく両国の国境を越えた。ドイツのオフィスでドイツ人と、フランスのオフィスでフランス人とそれぞれ膝を交えて仕事をした。ドイツとフランス、どちらが住みやすいか、どちらが好きか? と、ドイツ人は必ず聞いてくる。しかしフランス人はそんなことも聞かない。 ドイツ音楽が持つある種の統一性と、フランス音楽の持つ色彩感は、やはり国民性の反映だろうか。そう思うと、音楽一つでも興味深い。

フランス音楽をもう少し聴いてみよう、と思ったきっかけは、ビゼーだった。一曲しかない「交響曲」に惹かれた。まるでドイツ古典派の様な構築美もあれば色彩感もある。演奏も良かった。茨城県ご出身の友人から借りた同曲のCDは「小澤征爾指揮・水戸室内管弦楽団演奏」によるものだった。友人としては生誕地に生まれた世界レベルの室内管弦楽団とその総監督の演奏は買わずにはおれなかったのだろう。

学校を卒業し単身で欧州に乗り込んだ小澤征爾氏が、最初に師事したのがフランスの大指揮者シャルル・ミュンシュだと氏の自著を通じて知った。するとフランス音楽は彼の得意とするところだろう。実際彼の指揮するフランス音楽は定評があり、それは自分も経験した。パリ・シャンゼリゼ劇場。オケはフランス国立管弦楽団。演目はベルリオーズ幻想交響曲」とラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」だった。熱気の入った指揮にスタンディングオベーションは長く続いた。

ビゼーに気を良くして、今度はサン・サーンスを聴いている。「交響曲第3番・オルガン付き」。20年近く前にCDを買ったがその際は何も印象に残らなかった。今棚を探すとそのCDはない。多分つまらなくて売ってしまったのだろうと思う。しかし今なら違うかもしれない。

改めて手に入れたCDは小澤征爾指揮・フランス国立管弦楽団の演奏だった。あのシャンゼリゼ劇場での興奮再び。全く同じメンツの演奏だ。豊かな色彩感に満たされる中にドイツ風なフーガもあり、期待をはるかに超えた曲だった。壮大なオルガンも舞うように踊るピアノも素晴らしい。当時これがなぜ響かなかったかは分からない。

感受性は年齢とともに変わるのだろうか。若き時の印象で蓋をしてしまったらつまらない。まだまだ素晴らしい音楽は沢山あるようだ。何も知らないことはもったいない。逆に言えば楽しむ世界がまだ無限に残っている。なんと夢のある話だろう。

秋の夜長に聴くフランス音楽。様々な世界を教えてくれてとても嬉しいが、寝不足にはならないようにしよう。

(*)https://shirane3193.hatenablog.com/entry/2021/11/23/223104

「ボクの音楽武者修行(新潮文庫)」は昭和37年(27歳)までの氏の自叙伝。今読んでも若さのエネルギーを感じる。日米欧の文化論としても読める。サン・サーンスの素晴らしさも教えてくれた。