日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

脳腫瘍・悪性リンパ腫治療記(7)「脳外科緊急入院(1)」

●脳腫瘍・悪性リンパ腫治療記(7)「脳外科緊急入院(1)」

2021年1月20日(木)、会社への出勤途上、なぜかバス停傍のコンビニでふらつきと足のもつれが手伝い転倒してしまった。しかも朝食を吐いてしまった。こんなことは今までもなかった。スーツの膝小僧が少し破れてしまった事が気になる。ああ、スーツなのにみっともない、そんな現実的なことが頭に浮かんだのだった。めまいは血流改善の薬の副作用だろう。朝食嘔吐は発熱の余波だろう。とにかくもう研修を休むわけにはいかない。10人の同期に後れを取りたくない。あと数日で研修は終わり、自分もある事務所への配置が決まっている。もう名刺もできている。追いつかなくては。

よく覚えてはいないがその後満員電車に揺られ無事に会社にたどり着き、研修を受けたようだた。当日はそれまで2週間に及んだ研修の成果を確認するある種のテストが予定されており、これに合格すれば、予定されている事務所への配置が本格的になるというものだった。心して臨んだ試験のはずだが、なんだか思った通り行かなかった。何よりも頭がぼーっとして、頭痛も半端なかった。

私の試験の結果は当然不合格だった。まだ明日やり直し。焦ることはない。

帰宅したが随分と疲れていたようだった。寒かったが風呂には入らなかったという。家内は自分の好きな鍋料理を用意していてくれたようだ。しかし、自分はそれをお椀に盛ってくれたものをお椀ごとひっくり返してしまったという。このあたりからは記憶は曖昧となる。

とにかく自分の症状が正常ではないという判断を家内と娘はしてくれ、消防庁横浜市救急相談センターに電話をかけ自分の症状を話したのち、速やかに脳外科に運ぶようにという指示を得たという。すぐに救急車がやって来た。

救急車にいかに乗り込んだのかの記憶もない。ただ、その年の8月に、尿路結石の余りの痛みに耐えかねて救急車を呼んだ自分は、今回も同じ消防署から救急車が来てくれたという事を確認したという。そして、「今回もお世話になります」、と律義に挨拶をしたという。

記憶は曖昧だが救急車の隊員から「今日は何曜日ですか?」と聞かれ、苦しんだ挙句に「金曜日」と答えたのだ。「お勤めの方が曜日を間違えることはまずありませんね・・・」そんな救急隊員の言葉はおぼろげに覚えている。実際は水曜日だったのだ。ここから後の記憶はますます断片的になり、すでにわからない。ここから先、意識が覚醒するまでは後日、家内と次女に話を聞くことでその時系列と光景を明らかにすることができた。

川崎の病院に搬送され即座にCTをとられた。読図をしていただいたというたまたま当直をされていた脳外科のドクターから私、家内そして娘に以下告げられたという。

「ご主人の症状は脳腫瘍です。3センチ x 4センチ大です。右側頭部にあります。」

脳卒中ではないか、と内心思っていた家内は吹っ飛んだらしい。衝撃の余り声が出なかった家内と娘の前で、自分は自分で、ひどくのんびりと、こう答えたという。

「脳腫瘍か。参ったなぁ。ラヴェル*と同じだ。ラヴェルの音楽、聴きたいな」

家内と娘はいったん日付が変わってからタクシーで帰宅したという。自分はそんなことを知る由もなかった。

私の「脳腫瘍」はこうしてCTによって発見された。ここに至る数週間の納得のいかない出来事も、全ては脳という閉塞空間で腫瘍が成長するに伴い正常の脳細胞が追いやられていったために発生した「頭蓋内圧亢進症状」であった、と、今思えば理解がつくのであった。

(*モーリス・ラヴェル、フランスの作曲家、1875年3月-1937年12月脳腫瘍にて死去(諸説あり))

(2021年11月23日・記)