日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

壁飾り

引っ越した高原の家にはこれまで飾っていなかった絵を飾った。簡素な部屋にしたいのに妻が作った額入りの刺繍や飾っていなかった絵も飾るとなんだか急に所帯じみてしまった。そこで居間から絵を外して、代わりに寝室と自分の書斎に飾った。

自分の部屋には妻の刺繍、南アルプスを描いた甲府盆地の絵、そしてデュッセルドルフライン川の西岸の森の絵を飾った。迷った挙句に、そこに一枚の絵を追加した。本物は遠くウィーンの美術館にある。複製画も買えるわけもない。それは多分写真をスキャンしたのだろうか、ポスターだった。それを額に入れて壁に掛けたのだった。

西洋絵画など子供の頃は興味が無かった。しかし中学や高校の美術の教科書は魅力的だった。ラファエロの「システィーナのマドンナ」には惹かれた。が宗教絵画はマリアはともかくもイエス十二使徒の絵画は息苦しかった。「最後の晩餐」は何度も修復されていて少しだけ期待外れだった。ゴッホはなぜあそこ迄自画像をディフォルメして描くのだろうかと思った。しかし「アルルの跳ね橋」や「夜のカフェテラス」などには風景に力がはあった。ピカソは理解できなかった。「ゲルニカ」にもあまり怒りを感じなかった。ルノアールは描かれた豊満な裸婦に魅了された。モネは美しいと思った。「日傘の女」が居たならば心が揺らいだだろう。レンブラントの「夜警」には唸った。フェルメールの一連の女性陣は素晴らしかった。ドレスデンマドリードルーブル、オルセー、マルモッタン、アムステルダム、様々なところで色々な絵を見ることが出来たのは、幸いだった。

しかし自分が一番惹かれたのは、ブリューゲルの「冬の狩人」だった。ウィーンの美術館で三度見た。天には決して届かぬ塔を描いた「バベルの塔」も隣に展示されているが、そちらは空想の絵に思えた。冬の狩人は雪国の絵だった。氷結した池で子供たちが雪遊びをしている。そこに猟犬を連れ獲物を肩にした狩人が村に帰ってくる。遠景には雪の岩山がそそり立っている。ピーター・ブリューゲルはベルギーはフランドルの画家だ。ベルギーには南部のアルデンヌに丘陵地帯はあるが顕著な山岳ではない。これが彼の頭の中の風景なのか、旅行先でのスケッチなのかもわからない。

ガン病棟で治療をしていた時、この風景の中で生活することが自分の夢になった。実際にはその場所は現実に存在する地だった。そこは三千メートル級山岳に挟まれた広い高原でカラマツ・アカマツ、そしてブナやナラの混生林があった。そんな森の中で、自分は生まれ変わる。そこで生活する事、それが闘病に耐える励みとなった。具体的な土地の風景は頭にはあったが、僕はその時このブリューゲルの絵の世界をそこに視ていた。生き生きとした狩人の力強い肉体、焚火を起こし何かを作っている女性達の強さ、下界の池で遊ぶ子供たちの生命力。はるかに遠くそびえる厳しい雪の山。そこで住めたら、僕の病気は何処かに消えていく、そう思った。

ウィーンの美術館ではこの絵に近づきすぎて警備員の注意を受けた。複製画のポスターなのだからいまは額縁に幾らでも近寄れる。転居した地はやはり日本で、ブリューゲルの風景とはかけ離れている。しかしこれが想像の風景だとするならば自分の新居がそこにあってもおかしくない。そう思った。

線状降水帯が少し南側を襲ったようだ。この地も一日、強い雨だった。自分の家の裏手は沢になっている。雨はやんだが沢を流れる水音が暗闇の中に響いている。冬になると地面は雪に覆われ沢水に氷が張るだろうか。その時僕は、実際の生活と憧れの世界との一体化を見るだろう。

妻の作った刺繍にはスキー道具と登山靴、ザックが縫われている。甲府盆地の絵画は南アルプスの絵を多く残した山里寿男画伯の書かれたものだった。好きな北岳の絵が欲しかった。子供達と旅行した山梨の彼の美術館でこの絵に出会い彼から買った。デュッセルドルフライン川の森とカフェの絵は当地の画家Hackspiel女史によるものだった。僕は暇があればこの森を歩きこのカフェで折り返していた。ドイツを去る日に彼女のアトリエで買った絵だった、

山道具、盆地から見る山、川の森とカフェ。すべてが山や森の絵だった。そこに一枚、そこに自分が住んでいる空想の場所の絵が加わった。この部屋はたちまちに森と山の気配に囲まれる。開け放した窓からは七月も近いというのに二十度に届かぬ冷えた夜風が川の音ともに流れてくる。それは風に揺れるナラの林で拡散し、自分には幾重にも聞こえる。

素敵な絵に囲まれて、僕は何処に行くのだろう。誰にもそれはわからない。そんな風任せがあっても良いだろう。

それはA3判のポスターに過ぎない。しかしここに棲むことを病床の自分は望んだ。いま、そこに住んでいるのだろうか。これは想像の地だと思う。現実の我が家がそこに在ってもおかしくないだろう。