日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

憧れの絵画

NHK-BSでヨーロッパの駅ロマンというタイトルの番組をやっていた。偶々録画した回はフィンランドヘルシンキ中央駅の光景だった。冬のヘルシンキは寒い。自分のヘルシンキは出張だった。バルト海に面した港の前のホテルで一瞬外に出ただけでウールのズボンが瞬時に凍った。街中の中央駅も如何にも零下10度といった風の映像だった。番組は冬の駅を往く人々にフォーカスをあてた人間ドラマだった。

あるシーンで列車が駅を出て北に向かうカットがあった。車窓から見る延々と続く深い森はパインの木々だろうか。森の国フィンランドだと思った。長閑なムーミン谷が何処かにありそうにも思えた。雪を被った針葉樹林を見て、僕はいつも思う。一番好きな絵画の事を。

何故その絵に惹かれたのかは分からない。ただ、自分もその絵の中に描かれた登場人物の一人になりたいと思ったのだ。それは中学の美術の教科書だったのだろう。そこはちょっとした雪の台地であり、眼下には村。その奥には凍った池がありそこで子供たちがスケートだろうか、遊んでいる。村の奥は谷になっていて高い岩山がある。谷は奥まで続き、暗い空には鳥が飛ぶ。そんな中、獲物を肩に吊るし、猟犬を何頭も連れた毛皮姿の猟師が戻ってきた。これから丘を下って我が家に帰るのだろう。

それだけの絵だった。中学生の頃自分がなりたいと思ったのは湖で遊ぶ子供の一人だった。狩りからお父さんが戻ってくる。お母さんは夕ご飯を作っている。氷遊びは今日は終わりだ。決して夕暮れの風景ではないが緯度の高い地の午後三時ごろだろうと思わせる絵だった。

20歳代の終わりころに出張で訪れたウィーン。時間が空き「ウィーン美術史美術館」で期せずしてその絵に出会えた。体に電気が走った。中学生の頃から長く憧れていた絵だった。思ったよりも小さいサイズだった。余りに絵に近づきすぎて赤外線センサーに触れてブザーが鳴った。すみませんと職員に謝った。その後観光や仕事で何度かウィーンに行く機会があった。その都度美術館に行き、この絵を見た。

この急な坂を彼らはどうやって下りるのだろう。犬たちはしっかり雪を下るだろう。今改めてその絵を見て猟師の肩にかかった獲物が一羽の鴨だけだと気づいた。これでは家族を養えまい。いや、まだ後続隊がいて彼らが担いでいるのかもしれなかった。…雪の林、雪原、凍った湖。温暖な地に生まれた自分がなぜその風景に憧憬を抱いたのかは分からない。それが絵の力かと思う。

僕は今でもこんな土地に住みたいと思う。猟師はいないが雪つもる林の中に暖かい灯りが灯っている。林の向こうには雪を纏った峰が立っている。玄関を開けると暖かい空気が身を包み、家族がいる。僕は狩りに行ったのではない。何をしに外出しているのだろう。それもわからない。想像の世界はつじつまがあわない。それで良いと思う。

ウィーンの美術館で買ったその絵のマグネットは我が家の冷蔵庫にメモを留めるために引っ付いている。その隣にはヘルシンキ空港で買った木製のムーミンママがメモを挟んでいる。ずっと自分は思っていた。この絵はチロルか、南ドイツに違いないと。しかし先程のテレビ番組とムーミンママのマグネットを見ていたらもしかしたらフィンランドなのかもしれないとも思うのだった。しかしそれもつまらない詮索だろう。画家の頭の中の風景だ。

フランドル絵画という流れを汲んでいるピータ・ブリューゲルは16世紀を生きた今のオランダ・ベルギーの画家だ。そんな彼の絵が遠く離れたウィーンに多く残っているのはハプスブルグ家のお陰だろう。自分の好きな絵は「雪中の狩人」というが他にも有名な「バベルの塔」や「農民の婚礼」などにも触れることができる。バベルの塔などもじっくり見るととても面白い絵に思う。妻はバベルの塔の絵が好きでそのジグソーパズルを買っていた。

いつか自分は「雪中の狩人」のような風景の中に棲むだろう。ずっと憧れていたのだから。息苦しいだけの都会の生活はもういいだろう。小さなマグネットを見ていつもそう思っている。空想のその地は凛とした空気の下、静けさと暖かさに満ち溢れているに違いない。そこに棲み、家には模写絵の「雪中の狩人」といつ完成するかは分からない妻のジグソーパズルの「バベルの塔」を飾ろう。

自分の中の大切な絵。こんな風景の中でこれからを過ごしたい。凛とした空気。ゆっくりとした時間がそこにはあると思う。ピーター・ブリューゲル「冬の狩人」(マグネット)

これはこれで見ていて引き込まれてしまう。画家の力は素晴らしい。ピーター・ブリューゲルバベルの塔」(ジグソーパズル)

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