日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

痛飲後のノルディックポール

「痛飲」。痛い程に飲む。もちろんそれは「酒」だ。過日会社員時代にお世話になった方と一献を交えた。現役時代の話、今の話、これからの話。話のネタは尽きる事もなくいつしか5時間も差し向えで飲んでいた。若い頃の酒の話題は憧れの女性への恋心と自分はどうあるべきかという哲学。シニアの話題は、老後の充実。いずれもいくらでも語り合える話題だろう。

ほぼほぼ酩酊で、自分もどう家に戻ったのかあまり記憶が無い。大地がぐるぐる回る中をバスに乗り込み、気づけば降りるべきバス停で慌てて降車ボタンをおした。帰宅して忘れ物に気づいた。

往きは飲み屋のある街まで2時間弱、腹ごなしを兼ねて歩いたのだ。どうせ歩くなら運動効率が良いほうが良い。ということでノルディックポールを手にして歩いたのだった。丘陵地の続く一帯を心地よく歩くのは汗もかき爽快だった。そのポールを何処かに置き忘れたようだ。

ポールを両手にして軽快に歩く。ノルディック・ウォークというスポーツを目にしたのはドイツの生活でだった。ライン川の土手が裏手にある家の周りは緑豊かで、乗馬をする地元の方の愛馬の「落とし物」が道路のそこかしこにあるというのどかさがあった。すぐに土手の森になる。そこをドイツ人たちは乗馬をして、また、老若男女問わずにポールを手にして歩いていた。スポーツウェアで汗をかく様子の方も居れば、ややスローで楽しむ方もいた。興味が湧き、早速近所のスーパーマーケットの運動具コーナーで自分もポールを手に入れた。スポーツ用品専門店ではなくスーパーの一角でしっかりしたポールが売られていることが、このスポーツの裾野の広さを感じさせた。

実際にポールを手にして歩くと「押し出し感」もあり、推進力が付く。真面目にやればすぐに汗をかく。早歩きなので足腰にも、手を大きく動かすので腕にもよい。全身運動だな、と感じた。

当時、冬に南ドイツを鉄道で旅をした。オーストリア国境近くのミッテンヴァルトから冬季オリンピックが行われたガルミッシュ・パルテンキルヒェンあたりの雪原を列車は走っていた。何気なく南ドイツの冬の森林を眺めていると、列車に並走する様に走るスキーヤーに目が留まった。一人ではなく、点々とそれは続いた。もちろん鉄道の走る森の平原なのでアルペンスキーヤーではない。ノルディックスキークロスカントリースキーだった。冬の森をクロスカントリースキー。何と素晴らしい世界だろう、と感じ入った。雪が生活の一部であるというその様はまるで、ピーター・ブリューゲルの絵画「雪中の狩人」の風景のようだった。

冬季オリンピックでヨーロッパ勢がノルディックスキー競技で圧倒的に強い、その背景がよく分かった。市民の中にクロスカントリースキーが根付いているのだった。

ノルディックウォークのポールさばきはノルディックスキーそのものと気づいた。違いはスキーは板に乗り滑れるが、ウォーキングは歩くだけのか。以来森の散歩にはノルディックポールは欠かせなくなった。運動効率もさることながら、不思議なことに森との一体感が感じられた。数年後に引っ越したフランスでは、しかしノルディックウォークは余り目にしなかった。ゲルマンとラテン。その民族の違いなのか。しかし森は多く、そこを一人でポールを手に歩くのはやはり楽しかった。

日本に帰国してからそんなポールもしばらくお休みだった。都会の一角、手頃な森など近所にもない。人も多く大きくポールを振るのもためらわれた。なによりポールはご老人が使う歩行補助の道具「杖」だった。

病から退院し、体力を戻そう、とノルディックウォークを再開した。ご老人以外杖を使っている人を残念ながら一切見たことが無い。奇異な目で見られさえもする。ならば自分が先駆者たれ、そんな気分で周りの目を気にしないで取り組んでいる。

そんなことで飲み会にもノルディックウォークだった。しかし「痛飲」のお陰で、ドイツで買った大切なポールを紛失してしまった。翌朝バス会社に電話をしたら、きちんと車庫に保管されていた。取りに行くとそこには番号と発見日付のタグをつけられて棚から出てきた。バスは自分の下車後も何度かルートを走り深夜に車庫に戻ったがその工程の中でも忘れ物は失われることはなかったのだ。ノルディックウォークは根付いていないが、「親切・正直・勤勉」という大切な社会システムは未だしっかり日本に根付いている。そんな幸せをかみしめた。

再会したポールを手に、再び歩こう。そして痛くなるほど飲むのも、控えよう。ポールを手に歩き終えた充実感と汗は気持ち良い。なによりも、こうして一人ででもやっていれば、やがてこの奇妙なウォーキングも地元からだんだんと根付かないか、いずれ「社会システム」の一頁にならぬか、と密かに思っている。

再開のポールは犬の散歩程度の速度だった。ゆっくりと楽しめばよいだろう。