日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

追憶の百名山を描く(10)・空木岳

●始めに: 

日本百名山深田久弥氏が選んだ百の名峰。山岳文学としても素晴らしい書だが、著者の意とは反して、このハントがブームになって久しいようだ。自分は特に完登は目指していない。技術的にも気力的にも出来ない山があると知っている。ただ良い指標になるので自分で登れる範囲で登っている。可能であればテレマークスキーも使う。この深田百名山、無理なく登れる範囲をどこかで終えたら、あとは自分の好きな山を加えて自分の中での百名山にしたい、その程度に思っている。

自分が登った懐かしい百名山を絵に描いて振り返ってみたい、そんな風に思う。いずれの山も、素晴らしい登頂の記憶が残っている。時間をかけて筆を動かす事で、その山行での苦しみや歓び、感動を、まるで絵を書くようにゆっくりと思い出すのではないか、そんな気がする。そうして時間を越えて追憶の山との再会を果たすという訳だ。

空木岳(2864m、長野県駒ケ根市、他)

避難小屋で目覚めた翌朝、いよいよ本峰を目指した。ハイマツ帯を進む。木曽義仲がここを越えたか越えていないのか、そんな言われの残る鞍部、「木曽殿越え」はもう少しだろう。さっきから気になっていた目指す山はますます大きくなった。その気高さに気が負けて直視できなかった。しかし、いよいよ土俵入りなのだ。がっぷり四つに組まなくてはいけない。さしづめ今は、国技館の出待ち廊下といったところだろう。呼び出しがかかるのも時間の問題だ。

闘う相手をじっくりと見る。見入ってやる。驚くほどに立派だった。山頂には大きな石が累々と重なると聞いていた。東から日を浴びた山頂ははるかに高く、容易に到達しそうになかった。

一本調子の登りとはこういうのを指すのだな、ひたすら登るだけだ。上を見ても仕方ないので足場とその次の手の置き場を確認して進むだけだ。百歩登って足を止めて目を上げる。風景に変化はない。ため息ついてまた百歩。しかし辛いのでそれはやがて五十歩ごとになり終いは十歩、五歩毎になる。両手両足で登る箇所も出てくる。何のためにこんなことをしているのだろう。

だましだまし2時間もいや、3時間も頑張る。風向きが変わったのを体で感じる。空に近づいてきたのだ。

どんな山でも必ず山頂はある。それはこの山も例外ではなかった。まるでガリバーのような巨人がひょいひょいとチェスの駒のように置いたとしか思えない大きな岩がゴロゴロする山頂だった。山頂の充実と歓びはいつものように限りがなかった。東には懐かしい南アルプスの巨人たちが勢ぞろいしており、再会の挨拶も心はずんだ。

予定ではここで休憩ののちに更に南へ縦走してカールの底にある避難小屋で宿泊。明日にこの山に見劣ることもない立派な山の頂を踏む予定だった。

しかし今朝の避難小屋で聞いたラジオの天気予報の通り、西の空は黒く、重くなっていた。山行前の予報よりも前線の東進が早かったようだ。強くなった風で不安が膨らむ。もう、どうするか決める時間だ。念願の峰は踏めたがせっかくここまで来て次の巨峰を踏むことは叶いそうにない。歩きながら天気の変化を望んではいたが、無謀な登山は避けたい。ここが潮時、そう決めた。

中央アルプスの真ん中に位置する空木岳は長く宿題だった。木曽駒ヶ岳の山頂から遠く見たさっと尖った峰には憧れた。会社員だった当時の自分の登山適期はお盆休みしかなかった。数年かけてようやく登れた。歓びは大きい。しかしともに狙った南駒ヶ岳を諦めるのは残念だった。

深田久弥は「日本百名山」のあとがきで、百の山を選ぶためにどうしても選から漏れた山もある。それは愛する教え子をふるいにかけ落第させる試験官の辛さに似ていた、と記している。南駒ヶ岳もそんな落ちた山の一つだった。

空木岳を颯爽と呼ぶならば南駒ヶ岳は重厚と呼ぶだろう。二対相まみえるその風景は陰と陽でもあり、ともに踏みたいとやはり思うのだった。

思いは決めてきびすも返した。池山尾根は長い下山路だった。鎖場も続き気が抜けなかった。下り切って来し方を振り返れば素晴らしい山頂ははや黒い雲に覆われていた。

判断は正しかったな。ウツギダケという素晴らしい名前の山に立ったのだから何を心残りがあろうか。

ワイパーを忙しく動かす車、巡航速度を維持して中央高速を東に走らせる。つい数時間前までの濃密な記憶と幸せな疲労をゆっくり反芻するのだった。

木曽殿越の上部から眺める空木岳。颯爽とした山頂へは長い登りが待ち構えていた。右手奥には堂々とした南駒ヶ岳が大きかった。