日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

オイル・サーディンはありがたい?

オイル・サーディンと聞いてどう思うか? 「料理に便利だよね」と細君は言う。…そうだろうな、実際よくパスタに使うしね。

しかし特定の人種は、「いやー、嫌だよね。避けたいね。」と言う。その人種とは「山ヤ」と呼ばれる人々。オイル・サーディンという単語は山ヤなら共通語だ。

山ヤ。登山をする人。登山シーズンに入ると稜線の山小屋は賑わう。北アルプスの人気の山など登山者で山小屋がいっぱいになる。しかも山小屋は基本来るものは拒めないので次第に小屋が飽和してくる。課題は狭い空間で如何に多くの登山者の寝場所を確保するか、という点に絞られてくる。

一畳三人は避けられなくなる。一畳の空間でどうやって三人寝るのか。足を互い違いにして寝るしかない。それがずらりと並ぶ。「オイル・サーディン」と呼ばれる状況になる。小さな缶詰を開けると苦しそうに互い違いに並んだイワシのオイル付け。それはまさに山小屋の寝床だった。

「特定の人種」に属する自分も、それは嫌だった。気楽で気ままなテント縦走に拘ってきたのもその理由もあった。営業小屋は夏場は避ける。しかしその「オイル・サーディン」、一度経験したことがある。南アルプスの山だった。登りはじめから体に力が入らずに予定していたテント場まで登ることが出来そうになかった。しかたなく稜線下の営業小屋に泊まった。テントは張れない小屋で、客室で寝るしかなかった。

他人の足が目の前にある。自分の臭い足も又、他人様の目の前にあるのだろう。海抜3000m近い山小屋でも、人いきれで暑くて寝付けなかった。

たまらず指定された寝床から外れて、廊下で寝た。廊下にも布団は敷かれていたが踊り場でシュラフを広げ、安眠できた。そもそもテントの準備をしていたのだから最初からそうすればよかった。

以来オイル・サーディンには戦々恐々としてしまい、無理のない計画でテントの山歩きを続けたのだった。

コロナになり全てではないだろうが山小屋も予約制になったようだ。混雑は少しは緩和されよう。しかし今度は年齢的に自分も何時かはテントの山はきつくなるのかもしれない。オイル・サーディンやむなしだろうか?と思うと暗い気分になるのだ。

* *

近所に新規開店したスーパー。「業務スーパー」は物価の上がる昨今では救世主。我が家もさっそく買い出しだ。

オイル・サーディンが一缶88円だった。安い。思わず籠に放り込んだ。パスタ類も安い。イタリア産のリングィネとスパゲティ、ともに1キロ198円。悪くない。そのほか野菜を買い込み、ああ、これで3日間は大丈夫だね。と細君と安堵顔。

翌日のランチは、当然ながらパスタになってしまう。「山ヤ」の作る粗雑な料理だ。テント内でコッヘルで食べるのならそれもありだが、家ではね、と少しは盛り付けなども関心が行くようになった。しかし、しょせん野外料理の出身なのだ。

苦しそうなオイルサーディンは缶から半分ほど取り出してあげた。オリーブオイルに赤唐辛子・ニンニクを低温で香りづけしたフライパンに、これまた業務スーパー仕入れた野菜を入れた。オイルサーディンをさらに炒めてから調理酒(本来は調理用ワインだがなかった)をひと回し。パスタの茹で汁を少々加え、カットトマト缶をざーっとあけた。

イヤーなはずの「オイル・サーディン」も今度は本領発揮だった。味音痴な細君の「美味しい」というお世辞でも、作り手は嬉しいものだしイワシ冥利に尽きるだろう。

オイル・サーディンはありがたい?と聞かれたら何と答えようか。「山以外でなら、重宝しています」ということだろうか。山ではやはり遭いたくないし、料理でなら大歓迎なのだから。

来年の夏山には一缶持っていくか。それをテントで食べるわけだ。かさばらずにそう重くもない。滋養強壮。本領発揮、してもらおう。

オイルサーディン、少し小さくカットしすぎたのか、数回炒めても身崩れしてしまった。大切に扱わなくては。次回の反省点。