日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

小さな共同体

寒気到来、平野部でも降雪予想、要警戒。そんなテレビ放送が続いていた。警戒心よりも「そうか来るか」と妙にときめくのは雪に縁遠い瀬戸内海の生まれだからかもしれない。確かにその夕方から雪は強くなった。坂の多い街だ。バスは運行できなくなり誰もが諦めて車道をおそるおそる歩いていた。

84豪雪と言われていた。1984年。この年は日本海側ばかりではなく日本中が記録的な降雪を記録した。実際その年の冬、自分は富山市に居た。東京で大学生活を送っていたが当時両親は父親の転勤で富山市に居てそこが帰省先だった。常願寺川のほとりの住宅地に家はあった。その土手に上がり北アルプスを見るのが自分の楽しみだった。しかし冬は、ましてやその日は特に重たいカーテンが山を隠していた。飽くことなく雪が降り続いた。翌朝になり驚いた。隣家が見えなかった。庭に積った雪が一階を塞ぎ隣の家を隠したのだった。香川県人の両親は驚くというより途方に暮れていた。どうやってそこから脱出したのか覚えていない。除雪車が来たのだろうか。雪国の主だった道には融雪パイプが設置されているがあの年に限っては役に立たなかったのかもしれなかった。

二階の窓からその雪壁の上に飛び降りたら楽しかろうと思ったがズシンと沈んだら登ってこれなさそうに思えた。空想だけにした。毎年雪に苦しむ豪雪地帯の方々にとっては雪は迷惑なもので雪解けは待ち遠しいのだろう。しかしこちらは仮の居住者であり、かつ穏やかで温暖な海沿いで育った。雪の厄介さも怖さも知らないのだった。

富山を離れ東京湾に面した港町に戻ってきた。雪が降ることは無い。視界の先にある丹沢が冠雪するのを見るだけだった。それでも小学生の頃その街では雪合戦が出来た。昭和40年代はそれなりに降雪があったように思う。しかし今では関東平野南部で降雪を見る事はほぼなくなった。温暖化だろう。たまに降ると何故か楽しくなる。十年ほど前だろうか、珍しく降雪が多かった。その時余りに嬉しくて自分はクロスカントリースキーを持ち出して近所の県立公園を散歩した。歩く人など誰もいない。その中でスキーで足跡を刻むのは楽しかった。齢五十に近い男が誰もやらないような公園でのスキーというのも変わっているなと自分でも思う。それほどわくわくするものだった。実際ドイツやフランスに住んでいた時は雪が降ったらクロカンスキーを履いて裏手のライン川土手の森やパリ西部のムドンの森へ行った。ひと気のない森でのスキーは楽しかった。それをやっただけだった。今でも思う。自宅の扉を開けるとそこは森で玄関からクロカンスキーで散歩に行ければと。

一晩中雪は続いたようだった。夜半にトイレで目覚めると外はほの明るい。残念ながらここは森ではない。家は行き止まりの私道に面し高齢の居住者が多い。ああ、明日は雪かきだな。私道全体の雪を払おう。

目は醒めたが暖かい布団から出る気がしなかった。しかしガラリガラリという音が聞えた。誰かがすでに雪かきをやっているのだった。慌てて飛び出ると隣家のご主人がスコップを手にしていた。彼は昨夏死んだ自分の父親と同い年でもう九十歳を過ぎている。相変わらずのお元気さに頭が下がった。七、八年前に奥様を失くし一人住まいだった。彼とこうしてスコップを手にして話したのは数年前のやはり雪が積もった日だった。使い方が上手いので聞いてみると彼は信州のご出身だった。雪は彼の一部だったのだろう、身に付いた動作だった。

向かいの家の前でもスコップの音がした。奥さんが雪かきをされていた。彼女は中国ご出身とは引っ越してきた時の挨拶で知ったがあまり話す機会もなかった。時折換気扇からいかにも本格中華です、という良い匂いを出しては自分の胃袋を刺激するのだった。共に雪を掃きながら話をした。中国は上海のご出身だという。上海も雪は降るということだった。ここ最近の中国は不動産バブルがはじけて破竹の上海も又勢いが無くなったとテレビで聴くが、その話題は止めた。扉があいて中学生の男の子が挨拶をして出て行った。もうそんな時間だった。彼らが引っ越してきた時はあの子はまだ小学校低学年だったが。

三人のスコップはしばらく続いた。私道は立派な除雪路となった。小さな共同体だな、と思う。出身地も年齢も性別も違うが目の前の私道の雪を掃き家族や近所だれもが安全に歩けるとようにという気持ちで繋がっているのだろう。

自室にてキーボードをたたきつまらない文章を書いている。目の前の家は九十のご主人の住まいだが、屋根に積もった雪が自分の部屋を明るくしてくれている。おかげで部屋の電気をつける必要もなかった。緞帳が下りた空なのに部屋に暖かな空気が漂うのはストーブの暖気とその雪のお陰だった。この雪は直ぐに溶けてなくなる。しかし心の風景は消えない。

また小さな共同体の出番はあるのだろうか。

どんな天気図だったのだろう。関東平野南部にも雪が積もった。それはいっとき、小さな共同体を作ってくれたのだ。感謝せねばなるまい。

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