日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

森の聖母が棲む山 鍋倉山スキー行

鍋倉山(海抜1289m)の名前に接したのは20年以上前だろうか。

バックカントリースキー山スキーは自分には「ネイチャースキー」というネーミングで入ってきた。それは急峻な山岳地帯をも活動の対象とするアルピニズムの一形態である山スキーよりも、雪の森をゆっくり楽しもう、というコンセプトの下、活動エリアをもう少しハイキング寄りにしてみようと提唱したものだった。橋谷晃氏の著作「ネイチャースキーに行こう」(スキージャーナル社刊)が格好の入門書だった。

「ヒールフリー」・・踵の上がるスキー。つまりテレマークスキーを道具として雪の野山を歩き登り滑降する。楽しみ方、装備、お勧めルートガイド、書に書かれた内容はとても楽しく夢中になり、実践すべく即座にアルペンスキーを離れ、テレマークスキーに転向した。そしてそれを履いて即座にその魅力に惹かれた。歩行、登高、滑走、滑降がシームレス。テレマークターンという技術を体得するのも楽しく、また、なによりもスキーとしての能力がアルペンスキーと遜色ないところに惹かれた。雪の世界を翼が生えたように気軽に楽しめる開放感があった。踵を固定しないとはかくも素晴らしいのか。踵を開放して自由を味わう。「ヒール・フリーはフィール・フリーの事なのか・・」。自分の足前では急峻なルンゼ滑降などは縁のない世界で、その点に於いて必要十分な道具だったのだ。そんな新しい世界を教えてくれた書には感謝しかない。

そのガイド本にお勧めルートとして案内されていたのが鍋倉山だった。雪原を抜けてブナ林を登り山頂に立つ。下りは快適なツリー・ラン。そんなガイド記事は夢のようだった。

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前回の鍋倉山スキー行から9年経っていた。前年に病を得た自分には長いルートは体力的に不安があった。鍋倉山も道路の除雪前は東麓の飯山市・温井集落が起点となりそれなりの長い行程だった。しかし飯山市の観光課に確認しGWの初日に間に合うように除雪が上までされると知り、これならば行けそうだな。まずは病後の実績作り。そんなことで山仲間と共に予定したのだった。天候予測が不安定だったので戸狩の民宿を2泊予約した。友は慎重に天気を読んでベストな日で臨む山だった。

予め行政に確認した通り、地理院地図の標高880m地点が除雪地点だった。9年前は温井集落から狭い沢を詰めプラトーに上がり、鍋倉山と黒倉山の鞍部に突き上げる沢をルートにした。今回はその鞍部に突き上げる沢と車道の合流箇所がその除雪地点で、全体のルートは前回の半分以下となっていた。

前回は4月半ば。今回は4月後半。2週間の違いを如実に感じたのはブナ林の、カラマツ林の芽吹きだった。前回はまだ白と黒のモノトーン。今回はそこに新緑が混じった。新緑が雪に映え、山全体に緑色の精霊流しが灯っているかのように見えた。しかしその新緑も標高をあげていくと芽吹き前のモノトーンへ戻る。・・・そうか、桜と同じだな。新緑も山麓から始まり、山の上に進むのか・・・。

自分のスキー登高速度と新緑が山の上まで進むのはどちらが早いのだろう。自然と追いかけっこか。新緑の速度に負けるのならそれも嬉しい話だな。自分も「自然界の一部を構成するただの「水と炭素の塊」にしかすぎない」のだから。

ゆっくりと沢の左岸の小広い林間を登る。右手の斜面が強くなり海抜950mあたりで左手の沢に下りた。前回もそんなルート取りをしたと思う。沢に入ってからは傾斜が強まる。しかしシールは快適に雪面を捉えてずるりと後退することもなかった。

沢の源頭部に近づくと扇子を広げたように上方視界は広がり、紋様が目に優しいブナの巨木が点在する。太い幹で雪にも負けず、新緑は鮮やかで紅葉は燃える。ドングリを落として動物も土も大喜び。そんな自然と共生するブナには強い生命力を感じる。だからブナの林には「癒し」がある。ブナは欧州では「森の聖母」と呼ぶと聞く。確かに、彼女たちを前にして、自分の安らぎと喜びには限りがない。それがきっとマリア様のような慈愛、という事なのだろうか。

最後のひと汗で稜線に立った。9年前には登らなかった黒倉山をまず踏んでみる。ややブッシュが多いがここで稜線はほぼ90度北東方面に、越後平野に向けて屈曲する。そんな長い背稜が眼下に続く。日本海からの雪雲を最初に受けるのがこの稜線だ、とよくわかる。だからGWでもたっぷりと雪が残っているのか。

鍋倉山へ登り返すためにシールをはがさずに鞍部迄滑り降りる。鞍部からは尾根の新潟側が滑落の危険もなくそちらを拾いながら鍋倉の山頂に立ったのも前回どおりだった。

山頂は9年前と変わらなかった。ゆっくりと時間を取り、長い稜線を目で追って記憶に残した。クジラの背中は長く北に伸びいつしか天空に消えている。穏やかな背稜と越後の平野の境は分明ではなく、また日本海も同様だった。この稜線が「信越トレイル」として人気のトレッキングルートと知ったのは数年前だった。地元のボランティアによるルート整備のお陰なのだろう。雪が解けてから再び雪に閉ざされるまでは人気のトレイルになっている、と聞く。トレイルが車道に遭遇する箇所には幕営指定地もある。また、そんな地点へには地元の民宿が送迎してくれるという。ここは名だたる豪雪地帯だ。雪は長くは厄介者。しかしスキーと温泉がそれを変えた。それも人気に浮き沈みはある。トレッキングが注目されている今日、そんな努力でハイカー客が増えて地元もより潤うとすれば新しいエコシステムなのかもしれない。

シールを剥がしてワックスを塗る。滑降は呆気なかった。勝手知ったる谷筋へ向けて四月末のザラメ雪は快適でテレマークターンも楽しい。ブナのツリーホールに落ちないように注意しながら滑り下りる。この心地よさが自分を山スキーの虜にしている。

沢はやがて狭まり何処かで左岸に上がりたい。無理を承知で少し早めに左岸に上がってみるとやはりまだその先は狭く、仕方なく板を外して沢へ尻セードで沢に戻る。「自然の摂理に逆らっても無意味だよ」そう地形が教えてくれる。沢をもう少し横滑りで下り、プラトーに戻りスキーを外した。

9年前よりは短縮されたルート。しかし生命力に満ち溢れる新緑のブナ林は自分には優しい。病の床で山スキーはもう無理だろう、と遠い夢に思えたが今となってはそれも又遠い話と思えた・・。ベストな日で登ることが出来たのは友のお陰、感謝しかない。会心のGWの山には「森の聖母」が棲んでいた。そしてその中をこれまでのように山スキーで訪れ、その柔らかで慈愛に満ちた空気に触れることの喜びが、そこには在った。

鍋倉山山頂からは信越トレイルの果て無き山々がリラックスして北に背中を伸ばしていた。その風景の広がりに、山と平野と海の境は定かではなかったのだった

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今回の鍋倉山はスキーでの入山者は8割か9割。そしてそのやはり8割か9割がテレマーカーテレマークスキーの聖地なのか・・。山梨県北杜市から来たという単独行テレマーカー氏はシールも張らずにウロコで登られたという。鍋倉山を目的地とせずに除雪されていない道を関田峠までピストンしてきたテレマークパーティにも会う。色々な楽しみ方がある。皆さん「ヒールフリーはフィールフリー」。そして無雪期は長いトレイルをトレッキングか・・。

鍋倉山、この山域は自分にとっても何か新しいものを教えてくれる。「自然の摂理に抗わずに、楽しめることをしていく」。地元の観光協会で手に入れた信越トレイルのパンフレットを見ながら色々な空想が頭に浮かぶのだった。

「森の聖母」ブナの木。雪をものとせず、その温もりで周囲の雪を解かす。強い生命力と美しい紋様に、自分は無力で幸せな降伏をする。