日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

遅咲きのスイセン

師走から年が明けた睦月あたり、千葉は内房に足を運べば一足早い春に会える。それはスイセンのお花畑だ。スイセンは日本の在来種ではないという。球根を誰かが植えたものが、あるいはそれが野生化したのかかは分からない。

内房には「スイセンロード」と呼ばれる長閑な里道がある。神奈川県の三浦半島の先端からフェリーに乗って東京湾を横断すればそこは近い。車を停めてから細い道を里山に向かっていくとそれは見事なスイセンが随所に咲いているのだった。路傍のスイセンも見事だが正月の花として出荷するために植えている農家さんもあるようだ。スイセンの道をのんびり歩きながら目を西に向けるとイワシ色に輝く冬の東京湾が見える。海岸に戻り漁協食堂で獲れたての地魚を食べると、来る春が待ち遠しくなるのだった。

毎年の千葉行きを今年は取りやめたのは何故だろう。ああ、思い出した。年末年始と体調が悪かったのだった。外出する気にもならずに文字通りの寝正月だった。地元の役場に確認したわけではなかったがもう見ごろは終わってしまっただろうなと勝手に思ったのだろう。毎年見ていたものを逃すのは余り気持ちがいいものではなかった。

この冬はどんな気候だったのだろう。現役で仕事をしている頃はいちいち天気など気にしてはいなかったし、日々とはただ過ぎていく日めくりカレンダーに過ぎなかった。関東平野で雪を見たのは数度だが山間部ではまだ積雪を見る。春のような陽射しが来たと思えば寒風に肩をすぼめる日もあった。緩急混ぜて、という表現がピタリだった。

この年齢で気づく事と言えば、そんな季節の乱高下に体が追い付かなくなってきているという事だ。体温調節も苦手になってきた。体のバランスが失われているな、と実感も出来る。人間でさえそうなのだからちいさな花も然りだろう。

朝の散歩は犬と共に歩く。しかしここしばらく寒さが弱まったのでノルディックポールを手にして犬を家に帰した後さらに歩く事にした。これがなかなか心地よい。良い一日が待っているようにも思える。とある民家の庭を見て足が止まった。プランター一杯にスイセンが咲き乱れているのだった。忘れ物をしていたような気がしていたのだが、場所は違えどようやく春に触れたように思えた。

明日からの予報は昼は15度をこえるようだ。しかし来週はまた10度に及ばないという。桜の木もどうしたらよいのか迷うだろう。自分は遅咲きのスイセンのお陰でようやく冬の終わりを自覚した。まだ寒くなるとはいえそれはもう冬の残りかすだろう。

日めくりに過ぎなかった毎日だったはずだが今は違う。一日一日が貴重だった。僕はスイセンの球根を庭に埋める事にした。それは一足早い春告げ花だった。庭に千葉の山里がやってくるのだ。来年咲く白い花は積み重なった素敵な日々の、証だろう。

日本の里山で見かけるスイセン。民家の鉢植えもあるのだった。地中海地方が起源と言う。気候も違うのだがよくぞ日本に根付いてくれたと思う。

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