日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

毎日続けること

千葉の山里の無人販売所で買った一束のスイセン。玄関に飾っていた。家内はマメに水を替えて思いのほか長持ちをしたのだった。もしかしたら2月の初めまで持ったかもしれない。

何事もこつこつと長続きさせることが苦手な自分はそんな水仙の花を見ては、まだ頑張ってるな、といつも応援していた。何事も継続するのは簡単ではない。勉強が最たるものだろうか。受験勉強も好きではなかった。しかし社会人になってから趣味だけはマイペースでずっと進めていたのだから、やはり物事の好き嫌いも影響しよう。

早期退職してからは時間にとらわれない生活となった。病後のリハビリも、それは体を動かす事、と都合よく解釈して出来るだけ用事を予定表に突っ込んでいた。空の予定表が嫌いなのかもしれない。しかし何かの縛りが無いと易きに流れる。昼近くまで寝たりと、これでいいのだろうかと自省するのだ。脳外科手術と癌治療をしてからは体の芯に力が入らなくなっていた。集中力を維持することも辛くなっていた。昼寝なしでは体がもたなくなった。時間が経てば治るという事も目下なさそうだった。これはそれを受け止めるしかない。唯一、週数度の非常勤の仕事がメリハリを与えてくれていた。

二月も早いもので終わってしまう。四年近く前の二月に姉は病で物故した。二年前の二月は自分は脳外科の病棟に居た。あまり良い思い出のない二月は、早く去ってほしい。幸い向こうもそう思うのか、一年の中で日にちも一番少なく、またその経過はことに早いのだった。

今年こそそんな嫌な二月を有意義に過ごして苦しい経験を覆せぬか。ならば苦手な「こつこつ」と積み重ねてみようか。そう思ってこの月だけは「毎日のブログ投稿」を掲げた。ブログは書く以上は自分の持てるエネルギーをそこに反映させたい。何という事もないただの雑記帳なのだ。しかし書く以上は単なる数行で終わらせたくもない。それなりの構成も考えるし推敲もする。

困りごとと言えば、ネタだった。確かに病の治療を終えてから目にする風景は変わっていた。太陽の光には影もある。動物も植物も大きな世界の一部に過ぎない。しかもそれは単なる有機物だ。そんな価値観が出来ていた。しかしそこから何かをさらに深堀りし、文字に落とし込むのは難しいのだった。触れ合う人や社会から機微と言う名の感情の皺を見つけ出すのは容易ではない。一方、例えば新聞のコラムはどうだろう。プロによる毎日の仕事。ライターの視線は時事を捉えそこに自らのメッセージを込めていた。流石と言えた。

少しだけ生みの苦しみがあった。しかし何とかつまらない話題をひねくり、ネタ無き日は絵日記で済ましてしまった。今日で掲げた二月の目標は達成だ。すこしだけやり遂げたという気持ちがあった。とりあえず嫌な思い出に満ちた月が終わる。災難を消し去りたい、そんな見えない気持ちもあったのだろうか。予定をしっかりこなしたのは大人になってから始めてかもしれなかった。嬉しかった。

いつしか玄関の水差しのスイセンは無くっていた。代わりに妻が職場からもらってきた菜の花が差してあった。さて今度はあなたと時間比べか。でも三月は手を抜かして生活させてもらおうと思う。もう春だから。

玄関でしばらく早春の空気を与えてくれたスイセンの花。思ったよりも長く咲いていてくれた。