日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

森林公園

横浜の山手に根岸森林公園という広い公園がある。米軍居住区が長く近隣にあり荒井由実の歌に歌われたカフェもそばにあり横浜らしい独特の雰囲気がある。もっとも森林公園とはどこにでもありがちな名前だが、それが駅の名前になっている駅は、関東平野の東北部を走る私鉄にある。その駅まで随分と山手線のターミナル駅から揺られた記憶があった。

それは結婚する前だった。会社の同期の女性社員で、いつも笑っている女性だった。美人かといえばやや答えづらい。やはり愛嬌があったというのが相応しいのだと思った。ある秋の日だったのか、週末にそんな彼女を誘ってその森林公園に出かけた。当時自分はすでにアウドドアで遊ぶをことが好きだったのか、遊具のないただの森と林だけの公園は清々しく気持ちの良いものだった。そこで何をしたのかというと記憶は薄い。お弁当は彼女が作ってきてくれた。とても美味しかった。二人乗りの自転車に乗った記憶がうっすらとある。

そこはお互いの住んでいる街からは遠いところで、電車を何本も乗り継ぐ必要もあった。家路につく頃は、秋の日もだいぶ傾いていた。随分と遅くなりそうで、とても申し訳なく思ったのだ。門限を破ってはいけないと、遅くなった非礼を詫びたが、笑って返してくれた。その時、この笑顔をずっと見たいな、と思った。

先日ハイキングにふらりとでかけた。前夜に山仲間と話して行こうと決めたのだから、まさに「ふらり」だった。梅ははや終わりほのぼのとした山麓には気の早い桜が何本も咲いていた。ラッパスイセンと菜の花の黄色。そんな近景の向うに柔らかくピンク色を添えていた。色彩の河岸段丘に見えた。空気も柔らかく春の里山の教科書のような風情だった。

帰路に乗った電車を途中駅で乗り換えた。そこはあの森林公園という名の駅だった。そのまま乗っていれば山手線の大ターミナル駅なのだが、あの巨大で迷路のような駅で乗り換えるのは嫌だった。それに加え、その駅から次の電車に乗れば自分の住む街の最寄りの駅まで乗り換え無しで行けるのだ。本数は決して多くないが迷わずにその駅で下車して始発の直通電車を待った。

懐かしの駅、もう35年以上前の風景をその駅に探しても記憶はなかった。彼女と遊んだあの森と林の公園は駅からは少し離れているのだろうか。あの時ひやりとした空気の中色づく樹々は美しく、自分はとても楽しかった。

電車に乗り込んで一眠り。気づけばよく知る地元の街を走っていた。都心の鉄道網はどんどん進化し相互直通乗り入れが進む。点から点への移動時間は短かくなるばかり。もしあの頃そんな便利な路線があれば、森林公園からの帰りの時間の遅れもあまり気にしなくてすんだかもしれない。しかしそうならばあの笑顔には会えなかっただろう。

ただいま、と、玄関を開けるとあの頃の面影が残る見慣れた顔があった。今日森林公園の駅を通ったよ、あそこ凄く遠かったよね、と言うと、森林公園ってあの横浜の根岸でしょ、遠くないよねと、言う。いや、そこもよく行ったけど、もっと遠くだよ。え、そんなところ行ったかなあ、とあっさり話は終わった。

何なんだろうあの時あれほど気をもんだのに。全く心配して損をした。

もう互いの時間を気にすることなくそれぞれの顔を毎日眺めるようになってから30年以上経った。時間を気にするどころではなく、ずっと共有している。あの時の願いは果たされた事になるだろう。お互いこれからシルバーと言われる年齢層になっていく。共有していく時間はまだまだ沢山あるに違いない。電車の便も楽になった。今度またあの遠い森林公園に二人で行くのも悪くない。もう門限は何処にもないのだから。

この駅は自分達の街からは遠かった。しかし鉄道網の整備で乗り換えなしに行ける。そんな時代が来るとは考えていなかったが、それは35年以上昔の話だった。

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