日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

脳腫瘍・悪性リンパ腫治療記(29)治療終了の日

2021年2月13日に入院し7月15日。5か月が経過していた。RMPV治療の5クールを予定通り終え、13回の放射線治療、そして2回の地固めの大量キロサイド療法も終えた。一通りやることはやった。仕上げは造影剤を体内に入れてCTで全身スキャン。脳の腫瘍はどうなったか。ほかに移転はないか。放射線の専門家に読影していただき、主治医さんからのフィードバックだった。

「すでに最初のCTでも腫瘍は認められませんでしたが、ここまでよく頑張りましたね。今回の画像も問題がありません。寛解率は60%くらいでしょう。」

横に座っていた家内がゴクリとつばを飲み込んだのが分かった。寛解。癌の場合は5年間の再発がなければ寛解という単語で「この病は治癒した」と締めくくれる。60%という事は、5年以内に再発する可能性が4割あるのか。寛解がせめて70%くらいあればな、という思いも簡単に潰えた。しかしこの病の平均余命の短さは脳外科で病名を告げられた時点で分かっていたことだ。あの時思ったではないか。

「ああ、生き延びたな。難しい病か。救ってもらった命だな。自分はこれまで精いっぱい過ごしてきた。後はお釣りの人生だな。せいぜい好きなことをして、悔いなく楽しむだけだ」、と。

「再発したらどうなるのですか?」とは入院時のガイダンスに問うた内容で、その答えは「この治療が奏功しなかったという意味ですので、その時はゆっくりと過ごしましょう」だった。 緩和ケアという単語も先生は口にされた。ゆっくり暮らすか。覚悟はしているし腹もくくった。しかしその問いを今新たに主治医さんに問うことは出来なかった。やはり同じ答えを聞くこともいやだし、主治医もそんなことを伝えるのは辛いのだろうと思ったのだ。

今更それが70%の期待値ではなく60%と言われても、何の大差もないのだった。

「これからは様子見で定期的にウチの病院から先生が出ているクリニックに通ってくださいね。そこで採血・腫瘍マーカーを定期的に確認していくことになります。要所要所でCTも確認していきます。私の顔はもう二度と見ないほうが幸せなんです。」

主治医の担当したこの病でまもなく5年という患者さんも複数いるという話だった。また、再発の兆候は、「今回入院した時と同じ体の異変を味わう事でしょう」、とも話された。

予定していた治療はすべて終わった。目下結果は良好だ。それでいいではないか。現代医学でやることはすべてやったし自分も耐えた。医師と医療スタッフには感謝しかない。これから5年の間に、何があるかもわからない。交通事故もあるだろうし、登山で山から落ちることもある。まったく違う病気になることもあるだろう。そんな見えない明日に一喜一憂しても仕方がない、と自分に言い聞かせる。

治療は苦しかったのだろうか。脳外科の手術は意識外での出来事だった。目覚めて生を実感した。その後の集中治療室では手術痕の痛みとせん妄に悩まされた。一般病棟で病の正式な病名を知り、その平均的な余命の短さに嗚咽した。血液内科に転院してからは抗がん剤。5クール10週間の治療。生と死が同居する病棟は精神的に強くなくてはいけなかった。リツキシマブ、メソトレキセート、プロカルバジン、ヴィンクリシチン(オンコヴィン)、シタラビン。幾つの覚えたくもない薬の名を覚えたことだろう。しかしこれらの薬が開発され臨床に供されるまでには、多くの実例があったのだろう。結局自分は、先達者のお陰でここに至る事が出来た。ありがたい話だ。

入院・治療期間中に、再就職した会社の試用期間は終わり、退社届を提出し、社員証を返却、一枚も使わなかった名刺は破棄した。社会に貢献するやりがいのある仕事だった。しかし代わりに、今後の生活の方向性が見えてきた。幸いなことに、家族に加え多くの共にこの間助けられた。目的意識を持ち生きている強く輝く人たちに接することもできた。自分は独りではなく家族をはじめとした多くの人に救われている。今度はもう何らかの形で自分が恩返しする番なのだ。誰に?どうやって? それはまだわからない。

好奇心を持ち行動すれば前頭葉は刺激され健康寿命はのびるという。体の免疫力を強めるNK細胞を増やしセレトニンなどのリンパ細胞・神経伝搬物質は増やすにはストレスのない生活、笑う事という。好奇心、ストレスフリー、笑う事か。もう嫌なことはやらない。無理を掛けない。好きな事にも過剰に熱中しない。何事も負荷をかけない範囲で取り組めばよいだろうか。それを基本姿勢とする中で、もしも自分にやれることがあるのなら、その姿は必然的に見えてこよう。

前向きな家内は「もう大丈夫だよ」と自分にそう言い聞かせている。自分は自分で思う。「寛解率60%なのだから、そうぼんやり過ごすわけにはいかないな。・・好奇心と笑いを増やしストレスを減らすだけだ。値はそれで、変わるだろう。」

1月の寒い夜に搬送された脳外科から、夏の陽射しが漂う血液内科へ。病棟から通院へ。季節は移り変わり、自分の病状も確実に改善した。明日から新しい毎日が始まる。家内の肩を借りて、院外に出た。今日は家内と二人で乾杯だ。

RMPV第2クール終了時(右)、RMPV全クール終了・放射線終了・大量キロサイド終了時(左)。素人が見ても何もわからない。しかし専門医に読影いただいて、6割だった。