日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

破れてしまった風船

「ブラジルから見えたお方ですか?」

それは北関東のある街だった。桜並木の小さな川べりを歩いていたら楽しそうな会話が聞こえた。若い男女がベンチに腰掛けてコンビニスイーツを食べているのだった。いかにも自分たちの人生は今この一瞬が愉しい、そんな満ち溢れる明るい雰囲気に、話しかけたいという気持ちを抑えるのは難しかった。

北関東のこの町一体は戦前からの工業地帯で、労働力としての移民が多い。日本一のブラジルタウンとも言われる街も近隣にある。「ブラジル人ですか」、と言う質問はそんな地理的な背景に基づいていた。

「いえ、フィリピンです。」

綺麗な日本語のその返答に愕然として、後悔もあった。彼らが楽しそうにしゃべっている言葉がポルトガル語なのかタガログ語かくらいは、わかるはずではなかったか。両者は近しい言葉ではないのだから。それに顔立ちも異なるはずだった。そんなことも今や判別がつかない程、自分は鈍ってしまったのか。でもフィリピン人と分かり一つだけホッとしたのが、「英語が通じる」という事だった。

そこで会話を英語に切り替えた。「ここに住んでいるのか」、「この街のエリアはブラジル人が多いから、そう聞いてしまい、すまなかった」、「日本の生活は楽しいか」、「不自由はないのか?」…。

別に彼らの身上調査がしたいのではない。ただ、彼らの第二母国語ともいえる英語で話すことによって、彼らも飾らぬ気持ちを語ってくれるのではないか、単にそれだけの想いだった。

会話は、お互いが意思疎通できるだけのスキルをそれぞれが持っていることで成立する。残念ながら今日の自分は、会話を作り上げるのに少し時間が必要だった。単語も、こじゃれた言いまわしも、いつの間にか頭から消えており、すぐに出ないのだった。相手は話の前後から自分の言いたいことを推測してくれて、丁寧に答えてくれるのだった。

タガログ語が出来なくて、申し訳ない」と最後に言うと、「いや、あなたの英語はとても綺麗だった」と言ってくれた。別に綺麗なものは求めておらず、もっと彼らの心に踏み込める会話がしたかった。それをするには、いかにもたどたどしかったのだ。

東京ではなく北関東のこの街を選んだのは、ここに仕事があったことに加え、故郷フィリピンのように人が少なくのんびりしているから。と彼らは言っていた。そして最期は「オゲンキデ、サヨウナラ。コノマチヘ、マタキテクダサイ」と日本語で締めくくられた。

朝から晩まで英語で顧客と対応し、社内の資料はみな英語。出張で駐在で、英語は生活の一部だった。退職数年前に部門は変わり、英語は不要になった。そして会社を辞めてますます疎遠になった。英語と触れずになってから4,5年は経ったのだろうか。あれほど日常的で何の思考も交えずに口から出ていた言葉が、複雑な手順を頭の中で経ても充分に出てこないという単純な事実に、愕然となった。風船が破れて、すべての中身が抜けて出たのだろうか。

帰路の電車の乗換駅で接続を待つ。地元の工場の操業時間が終わったのだろう。多くの人がローカル私鉄の駅に入ってくるのだった。フィリピンのおばさんと一目で見て分かる一団がやってきた。急ぐ必要のない自分はベンチで座っていると、その中の一人に言われるのだった。

「オトウサン、コノニモツミテイテクレナイ?トイレイッテクルカラ」

荷物は海老と海藻を煮込んだ手料理の入ったタッパと見たこともないスナック菓子だった。沢山あるのは彼女たちの家庭の分もあるからだろう。なんとなく、そこからは南国の香りがした。

僅かの時間の身近な会話。もう自分は「不自由な英語」を使おうとも思わず、自動車のワイパーを作る会社に勤めているという彼女たちの荷物の見張り役となった。

社会の一線を退いて、日常生活に不要なものはどんどんと大脳皮質から消えていく。代わりに何か新しいものがそこを埋めるのであればよい話だが、さてどうだろう。

もう一度、あの頃とまではいかずとも、英語が生活の一部になる事はないだろうか、そんなライフスタイルを頭の中に浮かべている。観光立国を目指していたはずの日本も、コロナの名のもとに中途半端に終わった感がある。外国人と日本人。思考や習慣に大きな隔たりがあるのは仕方がないが、それを両者が歩み寄りギャップを埋められたら素晴らしい事だろう。会社生活で培ったことを自分として何か社会に還元するとしたら、そんなことに少しでもお役に立つことだろうか。焦る事もない。英語のスキルを戻す方法はあるに違いない。失ってしまった国際感覚の修復は少し時間がかかるかもしれないが。いずれもゆっくりと。時間がかかっても誰の迷惑にもならない。破れてしまった風船を繕うのは、自分だけの課題だから。

フィリピンの素敵な女性たちは乗り換えホームにやってきた電車に乗り込んだ。大きな声でお礼を言ってくれるのは日本人とは異なる感情表現だったが、それはとても嬉しかった。自分の電車はまだ来ない。ドア越しに手を振ってくれる、知り合って僅かの「束の間の友人」たちは、東の街へ去って行った。

ひと気のなくなったホームに南の国の香りが、少しだけ残った。

現役時代は、しおれていても風船があったはずです。社会人を退いてから、風船は破れ、中身は何処へと消えていきました。