日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

グルーヴィな日々

グルーブという単語を知ったのは何時だろう。間違いなくそれはアース・ウィンドアンドファイヤ(EW&F)の1981年のナンバー「Let's Groove」だったろう。リアルタイムだった。敢えて邦題にするならば「グルーブしようぜ」になるだろうか。レッド・ツェッペリンローリング・ストーンズしか聞いていなかった大学生にその音はとても新鮮だった。シンセサイザーベースにボコーダーを被せたリフに艶っぽいボーカルとコーラス、煌びやかなホーン。思えば自分の聞いていたロックサウンドの奥底にそれは根付いていたのだが、そこで自分は初めて直接ブラックミュージックに触れたのだろう。

ではグルーブとは何か?そんな事を聴くようではバンドで四本の弦を相手に音を出している身としては情けない。意味が解っていないのだからいつも冷や汗が出るのだろう。ネットで意味を調べるのは容易だが自分は広辞苑が好きだ。さすがにグルーブは載っていない。そこで高校生の時に使っていた英和辞書にお世話になった。研究社の「新英和中辞典」は当時の受験生にはバイブルだった。

Groove自体は記載されていた。木工用語の「みぞ」次に「しきたり」そして「適所」と続いた。想像していた高揚感的な意味は無かった。しかし次の単語はGroovyだった。俗語と但し書きがあったが「いかす」「痺れる」とあった。これだ。辞書を買った1979年にはすでにあった単語と言う事になる。

イカしている。これがグルーブか。僕は何時しかグルーブの虜になっていた。特にドラムスさんが創り出す16ビートには痺れる。その裏拍を感じそこに自分の下手くそなベースラインが乗った時、震える恍惚がある。バンドでブラックミュージックがやりたくて十年以上のブランクの後再びベースギターを手にしたのだった。ロックとは異なるグルーブ感を出すのは難しかった。その頃バンドメンバーの勧めもありプロのベーシストのレッスンに通った。彼からは技術論も音楽理論も教わらなかったが一番大切なことを教わった。いかにグルーブを創るかだった。体を動かす。腰を首を、目や口を動かす。それはグルーブを出そうとすると自然に出る体の動きだよ、と教えてくれた。リズムは体で創ってね、と。

EW&Fのベーシスト、ヴァーダイン・ホワイトのステージ映像を見れば一目瞭然だ。ベースを持ったダンサーに見えた。しかし実に強烈なグルーブを全身から放出している。彼以外にもチャック・レイニーやジェイムス・ジェマーソン、ドナルド・ダックダンやリロイ・ホッジスなどのプレイを聴けばやはり彼らも時に踊り腰でリズムを取りながら弾いているのだろうとは想像がつく。

それはブルースと言うよりはR&Bでありファンクだった。ソウルというジャンルになるのだろうか。1978年あたりから音が分厚くなりオーバープロダクションとなってくるがそれ以前のソウルはまさに自然に腰が動く音だった。ロックも良いが自分はこれだなと気づいた。同世代であるバンドメンバーは誰もがソウルに何十年も向き合っていた。ドラマー氏に至ってはソウルの中でもマイナーな音源のガイドブックを執筆しているほどの猛者だから、学ぶ事ばかりだった。

いつか還暦を越えてしまった。寄る年波に勝てず、という言葉は好きではないがやはり避けられない時もある。試しに胡坐をかいて立ち上がってみる。「ヨッコイショ」と言うではないか。初めて会った人の名前は何度聞いても覚えられないだろう。そんな中、楽しむ鍵はやはり「グルーブ」だ。日々痺れるようにわくわくしながら、イカした時間を過ごす事だろう。

70年代までのソウルミュージックは無限に音源がある。底なしで嵌ったら出られない。僕はそれを「ソウル沼」と命名している。ガイドブックを見ると気が遠くなる。CDをいくら集めても追いつかない。いつも沼を開拓したい。最大のアーカイブはネットだ。日課が一つ増えた。三十分で良いから知らない音を探っていこう。その積み重ねが来る時を豊かにしてくれるのではないか。

手元のガイドは四冊。「無敵のブラックミュージック」「レアグルーブガイドAtoZ」「グルーヴィ・ソウル」「魂のゆくえ」。ピーター・バラカンが書いた「魂のゆくえ」は巨大なソウルをゴスペルからディスコ迄、時間軸や地域、アーティスト毎に上手く整理している。ロンドンっ子の彼が如何にブラック沼にはまったが分かる読み物としても楽しい一冊だった。

幾ら調整してもダメなものはダメだろう。楽器のせいではないのだから。グルーブとは何か?未だにそんな事を問うのだから困りもの。バンドメンバーには迷惑ばかりかけて申し訳ないことこの上ない。

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