日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

僕の椅子

腰かけると少し音が鳴るのは油が切れているからだろう。もともと余りに大きくて決して気にはいってはいなかったのだ。今の家に引っ越すときに自分の部屋らしい一角を居間の角に設けた。狭い敷地に容積率ぎりぎりまで無理やり立てた三階建てだったが、寝室に加え子供たちにそれぞれ部屋があり、広いリビングがあった。そこに本棚と他の家具で小さなスペースを作ったがそれが自分の部屋ならぬ個人スペースだった。

子供は段ボールでもあればそれを立てて小さな部屋を作る。その上を毛布などで覆い自分の空間を作る。それが楽しい。僕のスペースもそれだった。リビングの隙間に本棚で造り上げた無理やりの空間。そこにはタワー型PCと二台のモニタ。プリンタ。アマチュア無線機器。ベースギターとそのアンプ、そしてCDラックと本棚があった。圧縮展示の極みだが椅子に座ったままそれを回さずして手を回せば何でも手にすることが出来た。しかし元に戻さないので机の上はがれきの山の如しだった。

椅子を回さなかったのは大きすぎて回せなかったのだった。確かのその空間にはラグジュアリーすぎる椅子だった。

もっと小さいので良いよ。

そう言う僕を押し切ったのは妻だった。折角なんだから大きいのにしなよ。普段あまり押しの強い事を言わない彼女が何故かこの時は強く言うのだった。「邪魔だよ」というと「いいから」と押し切られて我が家に届けられた。確かにそれは座り心地は良かった。が狭い隙間に収まると自在に回ることが出来なかった。

そのうち椅子も好きになった。妻が選んでくれたのだ。折角新しい家に引っ越すのだから椅子位買いなよ、という一言がまだ耳に残っている。

あれから十二年。自分の「隠れ家スペース」は何時か無くなってしまった。長女が独り立ちしたいと言い出し家を出た。去る者は追わずだった。その一年後に彼女は結婚した。あてがあって家を出たのだろう、それは余分な詮索だった。がらんどうになった空間に「隠れ家」は移動した。使い勝手は良くなり椅子もますます快適になり、家内の言うとおりにしてよかったと思うのだった。しかしそこはもう秘密のスペースではなく、あまり楽しくなくなった。

隣部屋になった次女は僕が余りに大きな音で音楽を聴くのでそのうちに文句を言いに来た。横着して僕は座り心地の良い椅子に深くもたれかかりスマンスマンと言うだけだった。ずっと静かにしなくてはいけない事態がやってきた。暗黒のコロナの時代に入った頃彼女は大学三年で就活真っ最中だった。オンライン面接を幾つもやっていた。僕は許可を得て音楽を聴くか、ヘッドフォンに切り替えた。また自分も一足早く在宅勤務になりこちらもオンライン会議があった。大きすぎる椅子がビデオ会議に映るのは少し恥ずかしかった。

ガンになり入院した。その間に次女も社会人になり家を出てた。家には彼女たちの残した小さな机と椅子、わずかの服やアクセサリー類が所在なさそうに埃をかぶっている。
あの時の妻の顔を思い出すと何故か涙が出るのだった。そんなに自分の安楽さを考えてくれる必要もないのに、大きくて快適な椅子を、と懸命に説かれた。とても真剣な表情だったのは何故だろうと思う。

そんな椅子もダンパーはへたれてきた。肝心の表皮が破れていた。一度破れると劣化は早いもので、そろそろこれはお役御免だなと思い始めた。今度の大型ごみ回収に申し込んでね、と言うと、あら随分壊れたのね。また買いましょうね、と言う。翌週「僕の椅子」はゴミに出された。少し寂しかった。今は娘が残していった安い椅子を使っている。もたれても倒れない。高さ調整もほとんど効かない。しかし椅子に座って疲れを取るようなことなど何もしないのだった。

もう一度あの妻の真剣な表情を見たいと思うのだった。何故だかわからない。少し泣きたいのかもしれなかった。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村