日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

恋文

「あなたのことが好きなんです。お付き合いしてください」。

文字数はわずか二十五字程度しかない。短くして心を動かすものだった。

恋文とは甘酸っぱい。中学生だった。ある日背の高い女子がやってきて教室の隅で手渡してくれたのが白い封筒だった。「サチコさんからよ」と云うのだった。彼女は使者だった。本能的に胸がときめき僕はそれを握ってトイレの個室へ行った。ドキドキと胸は張り裂けそうだった。

それはサチコさんからの恋文だった。彼女はテニス部の選手なのに色白で小柄。くりくりとよく動く目をしていた。自分には無縁だな、そんな高嶺の花だったので驚いた。

中学生の自分には「付き合う」の具体的な意味がわからなかったのだろう。ようやく声変わりした頃だった。学校の帰り道に時々一緒に帰る事もあったが残念ながら彼女の家は校門からとても近かった。無理やり遠回りして帰ったのかもしれない。彼女を前にすると僕は無口だった。何を話して良いかもわからなかった。まさか天気の話と言うわけにもいかなかった。歩きながら盗み見るとサチコさんの髪が風に揺れて大きな目が隠れてしまうのだった。素敵だと思った。が、回り込んで覗くわけにもいかなかった。既に自慰は覚えていたがサチコさんを思いそれにふける事はなかった。触れてはいけない存在だった。

数週間して再び使者の彼女がやってきた。次の手紙だった。「もうお付き合いはやめましょう」と書かれていた。ガラガラと心のなかで何かが崩れたが、同時に気が楽になった。自らに自信のない我が身では正直どうして良いかわからずに、手詰まりだったのだ。

その後サチコさんとどのように中学生活を過ごしたのだろう。クラス替え、違う高校への進学。高校卒業とともに僕はその街を離れ東京の大学へ進んだ。もともと親の転勤でその地に住んでいただけの余所者だった。

五十年近い時が流れた。SNSのお陰だろう、少し変わった自分の名字のお陰で中学時代の友人が僕をネットの海の中から見つけ出してくれた。奇跡だった。中学同級生のグループトークルームに、参加した。数人を除いて名前と顔は一致しなかった。

還暦同窓会をやろうと言う話だった。幹事の名前にサチコさんの名を見て少し躊躇した。彼女の心のなかに少しでもあの思い出が残っていれば自分は迷惑ではないだろうかと思い迷った。

他の懐かしい面子もあり参加した。大きな会場の中ですぐに彼女が分かった。意を決し話しかけた。「こんにちは、サチコさん。僕たちは交際してたのかな?とすると僕が不甲斐ないから別れたんだよね。でもあの時はどうして良いかわからなかったからごめんね。」そう一気に話すと彼女は優しく笑っていた。

偶然だろうか、二人共クラシック音楽のファンだった。何事もなかったようにサン・サーンスのオルガン付き交響曲の話をした。音楽の道に進んだ彼女はあの曲を演奏会で弾いたという。たまたま僕が同曲の話題を自分のブログに記載していた、それを見て驚いた、と言われていた。人づてに聞いた僕のブログを見て下さっているようだった。共に同じ音楽に魅了されていたのだった。

サチコさんは今は家業のスタッフの一員として働かれているとのことで、幸せそうな家族写真を見せていただいた。御本人を加え笑顔の四人が居た。息子さんもイケメンだね、と言うと旦那様とのことだった。

ここまで詳しく彼女のその後を知ったのはSNSでやり取りをするようになったからだった。堰をきったかのように世間話や思い出話をした。ある日長いメールが来た。あのことがずっと気になっていたこと、申し訳ないことをした、とあった。何を言うのだろう、僕は近寄ってきた可憐な小鳥に一瞬ときめき有頂天になったが、何もなく去っていった。それだけの話だった。羽ばたった鳥の心が傷ついたとしたらそれは僕のせいだった。

あの日を境に二人は児童から青少年になったのだ。その後はお互いそれぞれに自己意識が芽生えそれに苦しんだのだろう。彼女の住む街は余りに遠かった。彼女は自分のブログの更新を毎日見ることで健康無事なのだと安心します、と結んでいた。

素敵な友だちができた。心のなかにある友の古びた手紙はいつまでも輝いている。

今の様に液晶画面やキーボードで意志を伝える事が出来なかった時代。手紙は大切な手段だったのだ。時に喜び時に失意する。それは今も心の中で大切な位置を占める。