日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅 21 つくしんぼ (矢部美智代) 

・つくしんぼ 矢部美智代 ひかりのくに(株) 2005年

絵本を読んでみた。大人向けの小説よりも読み切るのが早いし、色々考える事がある。そもそも絵本は子供向けの書だ、と誰が決めたのだろう。大人が純な気持ちと繊細さをもって書いて描いたのだから、大人が読んでも楽しめるはずだ。職場の受付横の書棚に数冊あるので片っ端から読んでいく。読むだけなら休憩時間に読めてしまう。しかし得るものは多い。

この本を読んで、自分が失った大切なものは何だろうか、と考えた。物理的に多くの物と別れてきた。しかしこの絵本の主人公の僕は、大切なものと別れてそれを乗り越えたのだ。

僕の大切な三輪車が壊れた。お父さんは自転車を買ってきて、これからはこれに乗りなという。僕はあの三輪車が好きだった。自転車の練習もしたくないから手で押して原っぱを歩いていたら知らない女の子が草の上に寂しそうに座っていた。僕は遊ぼうよと誘い、かけっこをした。女の子は「たっくん」のほうが足が早かったという。ボール遊びもたっくんのほうが上手いという。ブランコもそうだった。たっくんは自転車も乗れるのになんでいつも押しているの?と聞かれる。僕は一生懸命練習する。僕はとても頑張って自転車に乗って自慢した。そして女の子に聞いた。たっくんで誰?と。たっくんは女の子がここに引っ越してくる前に住んでいた場所のお友達だった。

仲良しのたっくんと別れて寂しかったのね。ぼくも三輪車と分かれて寂しかったよ。でも練習して自転車に乗れるようになったよ。そう笑いあってから二人は名前を名乗り合う。かなちゃんとこうたくんだった。二人はもう三輪車の話もたっくんの話もしなかった。ボール投げとブランコをして気づくと原っぱにツクシンボがあった。春になった公園で二人はツクシンボを見ている。

そんな話だった。文章も絵も優しかった。自分が失ったものが、見えてきたように思える。純粋なまでの感受性だった。自分が子供だったら、きっとこうた君の気持ちになっただろう。今はどうなのか。願わくば、与えてほしい。時として鋭い刃で我が心を傷つける事もあった、あの初心で柔らかいに布に包まれたような感受性を。そんな気持ちがあるならばこれからの自分にとって、忘れていた何かが加わるだろう。もう少し童話を読めば完成は元に戻るのだろうか。

今の自分に必要なもの。それはきっと来たる老いや病、混沌とした時世を憂いたりすることではない。自分自身と、隣の人と目の前の人たちと。そんな人たちとの心の会話だと思っている。それを通じて僕の血が新しくなる。なんらかの喜びが産まれ、それは前向きな気持ちにつながるはずだ。

絵本は決して子供だけが読むものではないと改めて思う。この感受性が、欲しい。