日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

夏祭り

♪村の鎮守の神様の、今日は楽しいお祭り日・・・

街育ちだった。鎮守の森は近くにはなかったが坂を上って行けばそこは大きな畑だった。そこを抜けて遠出をすれば古い神社があった。唱歌・村祭りはいかにも楽しそうな唄だったが、ドンドンヒャララドンヒャララとはお米の収穫の歓びだろう。とすれば自分には縁が無かった。しかしお祭りは楽しみだった。それは育った町内会の隣町の公園、そして畑の先にある神社の境内で毎夏やっている盆踊りだった。

今見る事が出来たならそれほどでもないかもしれないが、公園や境内にとても背の高い櫓があり。その上で、その周りで、浴衣姿の老若男女が躍る。踊り方もわからなくとも参加する。明々とした露店が並ぶ。楽しみは父母が買ってくれる駄菓子、お面などの玩具だった。暑い夏の夕べ、いやその頃の夏は今のように暴力的には暑くなかったかもしれない。そんな中を公園に急いだ。

自分の職場は地元の人のための公民館的な機能を兼ねている。ここ何週かに及んで会合が続いている。隣町の町内会の集いだった。それは間もなく迎える盛夏に、夏祭りをしよう。そのための実行委員会の打ち合わせだった。比較的狭い町内会ですよ、と言われる幹事役の人とはいつしか顔見知りになっている。話を伺えば、担当町内会は約300世帯と言われる。コロナで三年間で自粛していた夏まつりを今年は復活させたいという意気込みで、二日間のプログラムや担当などを決めるているようだった。

打ち合わせ室から漏れ聞こえてくる。「焼きそばはやはり止めよう。その場で調理だからね。」「ソーセージは予め茹でていけばいいから出来るのでは?」「スーパーボールすくいはやるとして、後は何しようかね」そんなやり取りが聞える。何度にも及ぶ打ち合わせ。時間も束縛されるのにやはり皆さん楽しみなようだった。お祭りなど誰のためにやるのだろう。成果として何を求めているのだろう。そう考えるのは元会社員としての哀しい性だと思う。

そうだ、村の鎮守様の唄だった。それを聞いてどれほど胸が躍った事だろう。今でも自分に近い、いや年上の年代の方はきっとお祭りを思えばこの歌を思い出し楽しくなるだろう。300世帯のうちお子様のいる家庭がどれほどあるかわからぬが、休日の昼から夕方なのだ。みんな出てくることだろう。溢れるであろうその笑顔を考えれば手弁当の打ち合わせなど苦にもなるまい。街がそれで生き返り知り合いが増える。向こう三軒両隣、とは今ではかえって嫌われる価値観かもしれないが、若い世帯も、外国人の世帯もそこに加わるなら、何と素敵な事だろう。

祭りが終わると三々五々人々は散っていく。残った子供達だけで花火をしたものだ。派手な花火は最初に無くなってしまい、ねずみ花火が地を這った後は、最後に線香花火が残る。ジジッと燃える朱の珠が地面に落ちると、本当に祭りは終わった、と思い、寂しくなったものだ。夏もこうしていつか過ぎていくのだった。

町内会全体にそんな素敵な夕暮れが三年振りに来るという話だ。その町内会に属さない自分は何もできないが、良い天気であることを祈るだけだった。

夏祭り。花火。今の世の中にも残っていて、そこに幸福な笑顔があれば素敵な話だ。

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