日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ゴンズクとパトス

父親が世を去りひと月以上経過した。口座の凍結、年金の停止、遺産確認、墓地の手配、四十九日の準備…。山のようにやることがあった。現役の頃のような集中力、事務処理能力、そして持続力も無くなった自分にはすべてが億劫だった。沢山溜まった書類を前にため息が出て、TO-DOリストを作る気すらわかなかった。雪だるまのようにやることが膨らんでいった。

加齢なのか。脳腫瘍摘出の影響なのか、血液ガンの化学治療の影響なのか。ここ一年続いている母親の介護手続きの疲れか、父の葬儀の関連か。忙しさの中に失なわれている自分を取り戻そうと、やや身体に鞭打って登山やサイクリングを続けるからか。手術・治療終了して二年以上経ってもこの体調から抜け出せないのだった。先の見えないトンネルの中を毎日気息奄々と生きている。予定がないとベッドから起床することも叶わない。マリオネットのように動くのだった。今はそんな状態を友達として受け入れている。自分の体だから仕方がない。

通院の日だった。ついでに役所に立ち寄って父の逝去に伴う出すべき書類を出して肩の荷を下ろそうと思った。役所は何日も後ろ倒しにしていた。やるぞ、と宣言して書類を引っ張り出してフォームを埋めたりコピーを取ったりと、はあはあ言いながら進めた。

ああ、ゴンズク出しているな、と、ふと笑ってしまうのだった。

どくとるマンボウシリーズで知られる昭和の作家・北杜夫は自分の自我形成期に最も読んだ作家だった。どくとるマンボウで見せる軽妙洒脱さに加え彼の純文学で見る多感で脆く清潔な感受性。いずれも少なからず今の自分の言葉や後天的な感受性に影響を与えてくれたと思う。

「どくとるマンボウ青春期」は著者が40歳を迎えたころに青春の時期を振り返った軽妙で少し寂しい好著だ。学徒動員、旧制松本高校時代、東北大学医学部時代・・。疾風怒濤の時代を抜けて斎藤茂吉と言う大歌人である父の偉大さを知り自らも文学を志していく。この本を自分が手にしたのは高校生だった。

この書の中で、ゴンズクという単語が出てくる。ズクというのは信州弁で「よくやる」という意味でズクがあるとは働き者ということらしい。そこにドイツ語のガンツ(全く、徹底的に)が加わって、徹底的に頑張ってやる、という旧制松本高校用語とあった。終戦直後の食糧難、日々の食料はどこかで適当に盗むこともあったようだ。「ゴンズク出してネギをこれだけ盗ってきた」「よくやったな」とある。

また、社会に対する怒りの演説も当時の高校生には欠かせなかったようだ。誰もが寮内演説にパトスを持って臨んだいたと書かれていた。改めて調べるとパトスとはアリストテレス倫理学の単語で強い情熱という意味だろう。

ゴンズクもパトスも僕の気に入るところとなり自分もまた「今日はパトスを胸にゴンズク出して勉強した」などと受験勉強中に言っていた。しかし書に描かれる憧れの旧制松本高校(現・国立信州大学)に進む学力に遠く及ばず、パトスは高校生にして消えてしまった。しかし信州への憧れはこの本で高まった。

病院での採血は毎月の採血で、それは悪性リンパ腫のマーカー値の確認だった。シリンジでの大さじ一杯弱程度、10ccの採血が我が身に大きな影響を及ぼすとも思えない。しかし心なしかふらつきも増えてしまう。その後は役所に赴き、様々な申請書に記載して準備していた書類を提出した。一通り終えて朦朧とした。十年ほど前に義母を見送った妻は言う。「私は全部自分で役所系のことはやったよ。本当に大変だよね」と。ははぁ、と改めて彼女の偉大さを感じる。自分の人生はまだずっと長く、彼女と共に歩くのだ。だからここで尻を叩くのだった。

「パトスを持ってゴンズク、ゴンズク」と。出来る範囲で、笑いながらやれば楽しい日々になるだろう。

北杜夫の著作ももっと揃えていたが何処に行ったのだろう。手放せない本が残ったのだろう。パトスとゴンズク。今の自分にできる範囲でやるのだろう。

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