日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

美しい所作

映画「男はつらいよ」の大ファンだ。今の世の人にはただの短気で自分勝手、パワハラモラハラ気質満点な暴力的なクソオヤジとしか思えない主人公の寅さんだが、1969年の初スクリーン、それから1995年まで彼が年2回映画館に登場し毎回多くの観客を動員し皆が涙したというのだから、主人公の寅さんにはそれらを越えた魅力があるのだった。ペーソス溢れる心優しさ、純情さは粗野で直情径行な彼の裏返しだった。そんな寅さんを支える妹のさくらやおじちゃん・おばちゃん、妹婿の博のとらやの一家、印刷工場のタコ社長、帝釈様の御前様と寺男、といった魅力あふれる人立ちが繰り広げる人情喜劇は全く当時の日本人を魅了した。毎回異なるマドンナの魅力に加え映像に描かれる日本の田園風景も素晴らしかった。当然ながら自分も大ファンで、主人公寅さんを演じた渥美清存命中に撮影された全48作を三回は通して見ている。好きな作品は入院中に買い集め病床で「幸せ涙」を流してみていた。そんな涙をためれば牛乳瓶の数本にはなるだろう。買い集めたDVDは今数えたら24本あった。どの話がどう?どのマドンナが良い?などと言い始めるととても描き切れないし、多くのマニアックでコアなファンもいる。それは機会を改めたい。

電話機を片手にお辞儀をする、そんな光景を最近見かけない。一昔前まではよく見たように思う。では自分が電話機にお辞儀をしていたかと言うとよく覚えていない。

「どうも色々ありがとうございました。先方様にもよろしくお伝えくださいませ。」 
「ご丁寧にありがとうございました。暑いさなかお体に気をつけられてください。」

そうやって電話を切る時に、なぜか受話器をもってお辞儀をするのだった。当時電話機は台の上にあり、立って電話機に出るというのが当たり前だった。映画の中、寅さんの妹のさくらさんも叔父夫婦のおいちゃんおばちゃんも、そうだった。とらやの場合は電話機が低い場所に置いてあったのか、正座をして応対している。そして会話の最後にはかならずお辞儀をするのだった。

お辞儀とは相手が目前に居て、敬意を示すためにするものだろう。何故電話機を相手にお辞儀をするのだろう。電話のお辞儀、実は自分に限ってはよく見かける。家内だった。彼女は電話機相手に、そして携帯電話の今でも、最後に頭を下げているのだった。そこで彼女にヒアリングした。相手も見えないのに何故?と。「よくわからない」が答えだった。つまり無意識の所作だった。

電話に出て要件を承ってくれたお礼なのかもしれない。当時自分は電話で友人と話すときなどは手慰みに受話器のカールコードを指に巻き付けたりはしたが最後のお辞儀はしなかっただろう。無駄話ばかりだったかもしれない。お辞儀は相手に用件を伝え、ご了解ありがとうございました、という意味なのだろう。そんな要件を依頼する電話はスマートフォンの今でもあるはずだがお辞儀は見かけない。歩行中にも電話が出来る携帯電話ではいちいち立ち止まってお辞儀も出来ない。最近はブルートゥースで会話をしている。やはり受話器と言うものの存在と、電話機の設置位置が大切なのかもしれなかった。

携帯電話の普及で今や固定電話機は減る一方だろう。NTT東日本の公表によると平成13年度末の6105万回線は13年後には2556万回線まで減ったという。6割減だった。近所の公衆電話もひっそりと姿を消していた。

映画「男はつらいよ」シリーズにはそんな失われた・失われつつある日本人の美しい所作が良く描かれている。さくらさんやおばちゃんは裁縫をよくやっているが歯で縫物の糸を切るというシーンが良く登場する。いまも裁縫の世界で行われているのだろうか。

日本人が持つ多くの無意識の所作は美しいと思う。人間関係がネットを中心としたものに変わり肌感覚が希薄になって来て、それらが消えていくとしたら寂しい話だった。せいぜい自分もこの美しい光景が消えぬように、お辞儀をしようと思うのだった。

自分がこれらDVDを集めたのは入院中だった。全作のデータベースを作り採点をして気に入ったものだけを買った。病室でこれを見ていつも「幸せ涙」を流していた。寅さんは間違えなく自分の病床の友だった。DVDはプラケースは捨てて折りたたんだタイトル紙の中に挟んでいる。

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