日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

おもてなし

シャッターに閉ざされたとあるショッピング・モールの通路に開店前から立っていたのはそこが冷房が効いて涼しかったからだ。開店前から行列して何かを買うということではない。そもそもアウトドアや音楽、模型と言った自分の趣味の店と大型書店、それにフードコート。それ以外はモールには何の興味も感じない。その近くの病院に家人が行くので車に乗せて、診察が終わるまでの時間つぶしをしたいだけだった。

十時正刻になりシャッターが上がる。ひと気のないモール内には天井から夏の外光が溢れていた。滅多に見ることもない風景だろう。警備員が入館どうぞ、というまで皆外で待っているものも日本らしい風景だが、店内の風景は更に驚いた。たまたまそのフロアは女性アパレル店と化粧品店が並んでいた。それらの店の店員さんが一人づつ店頭に立ち自分がそこを通り過ぎると深くお辞儀して迎えてくれる。ロックバンドロゴの付いたTシャツを着た禿げたおじさんがそんな店の客でないことは火を見るより明らかなのに。エスカレータには前掛けをつけたおじさんが回る手すりの上に雑巾を押し付けて拭いている。まだ誰も登っていないエスカレータなのに。

どれも彼らの目的は何?と西洋人に問われれば僕も答えに少し窮する。it's a kind of OMOTENASHI. とでも言うしか無い。「?」と来るならばオモテナシをホスピタリティという単語に変えるだろうか、いやそれではピンとしない。オモテナシとは英語にはない概念だ。

オモテナシ。お迎するに相手に対して敬意を持ち深い洞察をして気心をいき渡す。美しいことだと思う。そんな言葉は先の東京オリンピック誘致で流行った。日本人の茶の心の極みかもしれない。元々は茶道から来たのだろうか。そしてそれは禅の精神に立脚しているようだ。自分はその程度しか知らない。日本人のDNAとして少なくとも身振りだけは身についているが。お客様は神様です、とは三波春夫の有名すぎるセリフだが、それもオモテナシに立っていたのだろうか。

大学生の時に多摩地区のショッピング・モールの家電コーナーでアルバイトをしたことがある。ベータが負けてVHSに鞍替えしたメーカーが新規参入し売り出し始めたVHSビデオテープの販売員だった。そして思い出した。開店してお客様が入ってくる時にお辞儀をして出迎えたことを。それは誰に教わったわけでもなく自然な行為だった。しかし頭を下げながらも心の中は「ちゃんと買ってくれよ、他所ではなくうちのテープを」と思うだけで彼らが神様には見えなった。少なくとも自分は所作のみで、相手を慮る気持ちはなかった。千利休に怒られそうだ。

片足を一歩引いて深々とお辞儀をする店頭の彼女たちの心の中はわからない。今日のお昼どうしようか、などと内心思っているとしたら人間らしくてとても楽しい話だ。自分の娘も大学生の頃このモールの雑貨店で働いていた。そういえば言っていた。店員を人とも思わないような対応の客もいれば丁寧な客もいると。前者のようなお客にあたったら用が済むまで耐え、あとでバックヤードであのクソ客!と仲間うちで情報共有してうさを晴らすしかないと。ああ、おもてなしも楽ではないのね、そんな事を娘の話を聞いて思ったのだった。

さすがに彼女たちに心情は聞けないが、もしかしたら「今日はいやな客が来なければ良いけど」と思っているだけかもしれない。しかし、カタチ上だけでも、たとえ清潔維持にあまり意味が無いかもしれないにせよ、立ってお辞儀をして客を迎え、無人エスカレータの手摺を目立たぬように清掃するという行動はやはり美しいのだと思う。自分が日本人で良かったなと思うのは、そんな時だろう。何事も他責にしてしまいたがる自分がそんなおもてなしの気持ちを持つことは容易ではない。まずはともに日々を歩いている家人に、少しは身になって接するのだろう。「診察終わった」という妻からの電話の応対に少しまごついてしまった。修行不足だ。

 

10時正刻、シャッターが開いた。一歩入って驚いた。おもてなしに満ちていた。

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