日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

年末の挨拶

今年一年お世話になりました。来年もよろしくお願いします。

そう言って職員さんは一人また一人帰っていく。仕事をやり終えたという充足感を感じさせる顔であるし、実家に帰郷する明日からの休暇への期待も漂っている人もいる。

自分の今日の仕事も終えた。そして皆さんと同じような台詞を口にしてお辞儀をした。

年末の挨拶をしたのはひどく久しぶりに思えた。夏の終わりに35年勤めた会社を早期退職して、再就職は翌年の初めだった、しかしその新しい会社も予期せぬ病による長き入院治療。自己都合扱いで半年で退職した。

その翌年の初めから非常勤社員として地元の地域交流センターに採用して頂いた。フルタイムの仕事は体力気力とまともに持たないと週3回のパートタイムだった。そしてこの年末でちょうど12カ月が終わろうとしていた。一年を健康に過ごせたのだ。

誰にでもできる仕事。しかし地域社会のお役に立てること。また、些細な仕事でも社会のお役に立てている実感。小さなことでも、相手の事を考え「きちんとやること」にいつしか「喜び」があることが分かった。それは言い過ぎかもしれないが「生き甲斐」に近い感覚ではないか。そんな発見が自分の一年の成果だったかもしれない。

メーカーでのサラリーマンを生業としていた自分には社会貢献・地域交流は知らない世界だった。食事を提供する配食サークル、ご高齢者に楽しい半日を過ごしていただくデイケア、高齢者を相手にすると必ずしも幸せな気持ちにはなれない。物事に真摯に取り組むほどやり場のない気持になる事もある。子育てに悩む人たちの集いや高齢社会をいかに生きるかの勉強会など、前向きなこともある。

この職場で働く人々は、みな問題意識と責任感のある人たちだった。そんなアツイものが無いと務まる職場ではなかった。この職場で最初の2カ月ほど自分はデイケアの送迎をやった。自分がお出迎えした利用者さんが認知症が進む、高齢者施設に行かれる。あるいは物故される。辛い話だ。しかし100歳を超えたご利用者さんが自分の名札と顔を見て覚えてくださっていたのは嬉しかった。若干の障害のある子供とその親御さんたちで楽しむサークルでは自分はある時はニワトリになり、ある時はサンタクロースになった。真剣に椅子取りゲームをした。ご利用者さんの笑顔がそこにはあった。暖かいものが湧いてきた。職員さんは真摯に新しい遊びを考えた。

さまざまな事を知り感情の波が押し寄せた一年だった。思えば「お世話になりました。良いお年をお迎えください。」とは、三年ぶりに口にした台詞だった。振り返れば自分自身にもいろいろあったのだった。本当に、お世話になったのだ。

年月は日々の積み重ね。しかし12月末を区切りとして、仕事納めの日に皆さんにお礼を言いながら我が身をも振り返る。お世話になる物事がこれほど多いと改めて知る。我が身のステークホルダーは有形無形問わず広範囲だったのだ。三年ぶりの年末の挨拶は気持ちの良いものだった。

また来年も色々なものに向かって年末の挨拶をすることが出来るだろう。