日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

元気が無いのだった

シートン動物記とファーブル昆虫記。どちらも子供の頃に読んだが内容は全く覚えていない。犬が好きだった。昆虫は小学生の頃はクワガタが好きだった。造成地に残るクヌギ林は彼らの宝庫だった。が家には姉が居て昆虫をひどく怖がることもあり自分の昆虫体験は小学生までだった。今では昆虫類であるゴキブリが大変おぞましい。あんな小さな体で人間をパニックにする。自分とて手を伸ばして殺虫剤を狂ったように噴霧する。

自分が通っていた大学は渋谷の宮益坂の上にあるが、坂を登り切った左側に縦長の建物があった。当時そこにある店を見た時に感慨深かった。昔から知った名前だった。中学高校の頃自分が熱中した作家は北杜夫だが彼は大の昆虫マニアと知られている。ファーブル昆虫記を参考にしたのだろうか?「どくとるマンボウ昆虫記」という著作も出ている。彼は妖しく光るコガネムシが好きだったようだ。青山墓地近くに住んでいた北杜夫が頻繁に通ったのが宮益坂の「志賀昆虫社」だった。その店の看板が坂の上にあった。戦前からやっている古い店だ。ああこの店だったのか。彼はそこで捕虫網や殺虫薬剤、注射器、瓶などを買ったとエッセイの中で何度も書いている。

神奈川県中央部にある丹沢山塊。核心部は重たい山登りになるが前衛部は軽い気持ちで登れる山も多い。鹿の生息域が下界迄広がったためにヒルが増えてしまった。それでこのエリアは晩秋から春を迎えるまでが登山に向いている。僕は会社員時代の数歳年下の女性陣二人とそんな山を歩いていた。女性が加わると心が舞い上がりパーティは華やかになる。しかし今回は仲間の男性が欠席し自分がルートガイド役となった。重責だった。長い登り。杉林からコナラの天然林となると紅葉が見られる。綺麗ね、と女性陣の明るい声が耳に届く。苔蒸した階段が現れると神社の裏手が山頂だった。下山は違うルートを取る。鎖のあるトラーバースルートは無事に通り抜けなければならぬ。先行し振りむくと無事通過されている。林道に降り立ってホッとした。

林道を下っていると道路の真ん中に「彼」は居た。随分と大きい。黄緑色のはずだが枯草色だった。童心が湧いた。きっと女性陣にどんなもんだい?と自慢でもしたかったのだろうか。僕は彼の腹を指で挟んで持ち上げた。記憶ではその姿勢を取ると振り向いて威嚇するか逃げるはずなのだが、彼は無抵抗に捕まった。さすがに自慢の鎌は振り上げた。

立派なカマキリだった。女性陣も驚いた。画像を後で調べると雄のようだった。こんなところに居ると車に轢かれるだろう、と思い彼を道路わきの草むらに放り投げた。ふわりと草の上に着地した。しかし昆虫類の食物連鎖の上位に居るにしては彼は大人しかった。秋とはいえ余りに暖かい季節で彼は放電気味なのか。カマキリが交尾をするのは秋と言う。交尾の後オスはメスカマキリによって食べられる。たいていは頭から食べられるらしい。いずれにせよ彼には精を放ちその後に栄養源になる運命が持っている。子孫を残すためとはいえ残酷だ。人間の男もかつては子供が生まれると家族のために身を粉にして働いた。さすがに食われはしない。今でこそそんなライフスタイルは変わったが性役割が存在する以上本質は変わるまい。

彼の余りに無抵抗で元気がない姿が気になった。草むらで彼は直ぐにパートナーを見つけるのだろうか。すると即座に彼は食べられることになる。その運命を前に観念しているのか、だから元気が無かったのだろう。すると道路で車に轢かれる方が幸せだったかもしれない。余計な事をしたか?と思った。

さて昆虫記。虫にはのめり込まなかったがやはり子供を熱中させる存在なのだろう。頭が剥げているだけで自分はまだ子供みたいなものだ。彼らの「昆虫記」でも読んでみようか。くだんの昆虫社は今は渋谷から品川区へ引っ越したようだ。さすがに根強いマニアが居るのだな、と嬉しくなった。

指でつかむと彼は鎌を広げた。お疲れさまでもこのくらいの威嚇はするのだろう。さて彼の今後はどうなるのだろう?(写真:F.Sさん撮影)

丹沢前衛の山は半日程度でも楽しめる。ただし季節を選びたい。(鐘ケ嶽561mを見る・厚木市

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