日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ラチェットの唄

ラチェットが心地よく鳴る道は心地よい。その音をオノマトペで再現を試みるが良い表現もない。低速はカタカタカタ?チリチリチリ?中速以上はザー、ジー、ジャーッ?どれも違う。

それがよく響く道とは何処だろう。サイクリストなら問うまでもなくそれを知っている。緩やかな下り坂や足休めで惰性で走っている時だ。リアのホイルからリズミカルなメカ音が聞こえてくる。音楽のようなその音を楽しんで聞いている時は田んぼや畑の中の一本道になるだろう、信号も対向車にも気を使わずに走るとこのメカの音は風景を切り開き自分はその中に溶け込んでいく。この音を「ラチェットが唄う」と表現された方が居たが、素敵だと思う。

自転車の後輪には歯車がついている。スポーツサイクルなら今は12枚の刃だろうか?自分のものは6枚、そして8枚。1980年代のフレンチロードについている6枚はボスフリーと言われるもの。十数年前にフランス風に作ったランドナーは8段のカセット式のフリーだ。6速あたりまでの昔のフリーがボスフリー、8段以上のものがカセット式になるがそこはマニアの世界となり自転車に関心のない人にはどうでも良い話だ。ボスフリーにせよカセット式にせよいずれにせよラチェットが内蔵されている。その音が気持ち良い。

アトム、レジナ、マイヨール。このあたりがフランスの当時物のボスフリーだろうか。それぞれ音が異なるらしい。ベテランサイクリストならそれでフリーを聞き分けていたと聞く。すごい話だ。

職場には電動アシスト軽快車が6台ある。これを夜間に館内に入れ、場合によってはタイヤに空気を入れるのも自分の仕事だ。ハンドルを手で押すとこれまた心地よいラチェット音がする。自分の自転車とは異なるが小さな振動も楽しい。

ペダルをこぐとホイールが回る。もちろんラチェットは鳴らない。ラチェットが鳴る時は自転車には一切の加速も負荷も加えずにただ転がるに任せている。

人生もこうありたいと思う。でければ漕がずにずっと転がっていきたい。ペダリングをするなら平地か緩い登り坂までとしたい。しかし嫌になるほど知っている。決して道路は平坦ではないことを。もう僕たちは充分に散々な目にあってきた。時折休暇や趣味への没頭といったチェーンオイルやグリスをさすから生き延びてきたようなものだ。

手にした6台の電動アシスト自転車はラチェットの唄をハミングのように奏でる。それを聞くと僕もなんとなく思う。これからは気楽に唄を歌えるだろうな、そうしたいなと。そう、一時の楽天家になってしまうのだった。

職場の軽快車。当たり前だがなかなか良いラチェット音がする。これは電動アシスト車だからとても楽なのだろう。憧れてしまう。自転車にではなく、その在り方に。

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