日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

目一杯の向こう側

延々と続く上り坂。行く先を見れば滅入るばかり。肩にしたザックはますます重くなる気がする。登山靴が妙に重い。地球の重力に反して上に向かう事は楽ではない。そんな事をいつも感じている。早く尾根が平坦にはならぬか。気をつかうが脚は楽になるトラバースルートにはならぬか。そんなことを考えて山を歩いている。

自転車も変わらない。長い登坂だ。ギアは軽くした。歩くより遅いかもしれないが、サイクリストとしては愛車からは降りる事はしない。頑張れる限り頑張る。もちろん押して歩くのも仕方ない。登山にもサイクリングにも敗北は無いのだから。

どちらの場合も、登っているときの自分の目線は何処にあるだろうか。本当は目線は先に向けるべきだろう。ルート取り、危険回避。しかし単調な登りが続くときはが何故か自分は一歩づづ歩みを重ねる山靴をみているしダウンチューブの下をゆっくり流れる道路を見ている。つまりは頭を下げている。さらに言うならば、10の数を数えたら上を見て先の長さを確認する。そしてため息とともにすぐに下を見る。10ではやがてきつくなりやがてそれが5になる。

ランドナーで登る久しぶりの坂道だった。遠出したわけでもない。下末吉台地と呼ばれる台地上に位置する自宅に戻るにはどんなルートを辿っても坂を上ることになる。緩くて長いのか、急で短いのか、選ぶのは自分だった。後者の際たるものは斜面に付けられた階段で、徒歩ならばそれを選ぶ。自転車ならば前者だ。今日は久々にダウンチューブをひたすら見て、ペダル10回しに一回、上を見る事にした。今回とったルートは後者だった。急な登山道を登る時と同じ間合いだった。自動車一台がようやく通れるような急坂だった。それを選んだのは昔日の力が自分に残っているかを試したかったからだった。

MTBに乗っている頃、この坂道をあまり苦労しないで登っていた。MTBのギアレシオはワイドな事も助かったのだがケイデンスを上げる事もあまり苦しくなかった。それは自分が30代から40代にかけてだった。それから30年近く。あの坂を自転車で登れるのだろうか?という気持ちがいつもあったが、そのたびに「緩くて長い坂」を選んでいた。しかし今日はファイトがあった。今日のサイクリングでは途中で休憩したハンバーガーショップで、ちょっとした原稿が納得のいく仕上がりで書けた。そんな充足感が自分を後押ししてくれたのだった。

我がランドナーを真上から眺めるのだからトップチューブとダウンチューブは重なりあう。わずかに自転車が傾くと、ダウンチューブの様子が見える。チューブに直付けされたレバーは左が一番前に、右が後ろに倒れていた。三枚のフロントチェンリングは最も最小なギアを、8枚のリアカセットは一番大きなギアを一枚残すのみ、そんなポジションだった。リアカセットをもう一枚軽くするとフロント24-リア26になる。これは最後の一太刀として残したのだった。

狭い道を後ろから車が登ってきた。すぐに追いつかれた。追い越してもらえそうなところまで一気に踏み込んだ。足が千切れそうだった。「進んでください」と右手を出して先に振りサインを送った。その際に自分はふらついた。その隙間をうまく見極めて車は抜いていき、こちらもほっとした。その先に坂道の頂上が待っていた。

全く目一杯だった。しかし24-26を使わずに登り切った自分に満足した。自信はなかったのだ。地形図で実測すると380mかけて33m登るとわかった。約9%の勾配だった。これ以上の距離は走れなかった。

何事もやってみないとわからない。しかし昔出来ていたことに再挑戦してみる事は良い事だと思う。出来なくて当たり前と思ったことが出来た時。目一杯の向こう側。その喜びはひとしおだから。また挑戦してみよう。

短いが急な坂を上り切った。ギア設定はF最小R最大-1。最後の一枚は抜かずの一太刀だった。しかし昔のように登りきれた。何故かうれしかった。

京浜地帯。赤い電車の走るエリアから下末吉台地にはさまざなま緩急のルートが在る。今日の相棒は東叡ランドナー。今回は自分としては珍しく短くて急なルートを選んだ。そのルートの東側には道路ではなく長い階段道になってしまう。このあたりで間違えなく一番急な坂道だった。650A35タイヤは踏切の多い街でも安心だった。

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