日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

坂の街の自転車屋さん

普段の交通の足。公共交通機関を除いた身近な移動手段と言えば自動車、バイク。もっと簡易なものは自転車だろう。

いずれも気づけば、派手に、あるいは地味に技術革新がされている。派手な革新は自動車だろうか。今は新車の主流は電気自動車・ハイブリット車ではないか。バイクは常に転倒リスクはあるが、前2輪の3輪タイプも出てきた。リーン・イン、・ウィズ、・アウト、といったバイク乗りにはお馴染みの運転感覚とは異なりそうだが、転倒の可能性は減りそうだ。また地味ながらもエンジンに混合気を送り込むためのキャブレターも徐々に消え、電子式燃料噴射器に変わりつつある。精巧なメカであるキャブレターは冬場にバイクに乗らないと翌シーズンは目詰まりしてしまいエンジン始動にひどく苦しむ事になる。これも電子制御なら心配あるまい。エコな方向へ、ユーザーが楽できる方向へ物事は回っている。

自転車も、一般自転車、いわゆる軽快車。好きな呼称ではないが「チャリンコ、ママチャリ」。この世界も様変わりだ。もともとエコな乗り物である自転車の進化のベクトルは、ユーザーが楽できること、安全性を高めること、そんな方向だろう。電動アシスト自転車は乗り手が楽をできるという事で一気に日本では普及した。また安全性の確保の為か、ディスクブレーキの自転車も増えてきた。自転車も今では、必ずしも簡易な乗り物ではなくなってきたように思うのだ。

初めて職場の電動アシスト車に乗った時驚いた。充電池やモータも載っているので、まず「重い」。しかしアシストボタンを押すと世界は一変だ。まさにジェットスターターで、ペダル一漕ぎでぎゅーんと出足が伸びる。上り坂では試していないが、多くの「お母さんたち」が前後に子供を載せて(それも凄い話だが)楽勝で坂を登っていくのを見れば、わざわざ体験する必要もないだろう。

自分の住む街は坂が多い。住宅地の広がる海抜40から60メートル程度の広い台地にいくつもの川が侵食し、その川の源頭部分は里山の雰囲気を残す、いわゆる「谷戸・谷地」地形が広がる。運よくそこが未開発であるならば、そこは格好のビオトープになっている。住宅地の奥のビオトープは嬉しいが、あたりに住むのは少し大変だ。谷戸・谷地の果てに待つのは一気に狭まる等高線だ。行く人はそれを登って稜線に至る。それを嫌えば愚直に早いうちから尾根を辿らなくてはいけない。つまり、居住地に至るには苦労するのだ。

こんな坂の多い街で乗られる自転車は大変だ。登りでは変速機の調子が悪いと困ってしまう。電動アシスト車にしても放電していたら使い物にならない。下りはもっとクリティカルかもしれない。急で短い坂、緩いが長い坂。どちらもブレーキへの負荷が半端ない。つまり、坂の街で自転車が活躍するには常に適切な整備がされている必要があるのだった。

結婚して坂の多いこの町に住み始めた頃、近所に自転車店があった。ちょうど世の中にマウンテンバイク(MTB)が流行り始めたころで、自分はMTBを積極的に売っていたその店で家内とお揃いの二台を買い、二人で車に載せて河原に出かけたり、繁華街まで街乗りをしたり、と楽しんだのだった。何年か経ち変速機の調子が悪くなったので自転車屋に修理に行って驚いた。なんとその店は閉店していたのだった。なんでも息子さんに店を譲り、その息子さんはもっと大きな街に移り、流行りの自転車だけを売る店を開いたと聞いた。

少し離れた場所にも別の自転車屋があった。こちらは前を通ったことはあるが、住んでいた家からは離れていてお店ものぞいたこともなかった。唯軒先に沢山並んだ修理を待つ軽快車から、この店は町の住民のためにあるのだとすぐに察せられた。

しかしやむなくそこに自転車を持ち込んだ。通常街の自転車は自店で販売した車以外は面倒を見ない、そんな一般論の話をよく聞いていたので、おそるおそるだった。しかし店主は人懐っかしそうな笑顔を浮かべた。「あぁ、あのお店、閉店してしまいましたね。どうぞ、ウチで直しますよ。お時間は頂きますけど」

それが長く続く「坂の街の自転車屋」さんとの出会いだった。

自分の自転車趣味は1970年代から80年代前半の自転車のカタチに集約される。あの頃の細身の鉄のホリゾンタルフレームに泥除けのついた、いわゆるランドナーが好みだった。ブレーキワイヤーはレバーから後ろ出し、変速はWレバー。ステムはクイル。サドルは革。このあたりは乗り手の好みが分かれ何がいいという話ではないが、その時代の自転車のカタチが好きなのだ。

そんな自転車のある部品、それは当時モノのツーリングペダルのキャップだったのだが、それを求めに行ったら、ジャンク箱の様な店の奥からすぐに持ってきたのだった。

「この店はただモノではないな」と思わずつぶやいた。

店主さんはやはり学生時代は自転車部だった。彼の時代の自転車とは競技の自転車ではなく、旅行の自転車だった。今も店内にある当時の彼の愛車はやはりランドナーだった。「自転車部よりも、旅行部でしたよ」と言われるのがよくわかった。

途中6年程海外転勤で地元を離れたが、帰国してからも転勤先のフランスで入手した中古の1980年代フレンチロードバイクもきちんと整備してくれ、防犯登録書も手配してくれたのだ。欧州で自己流で作っていたサイクリング車も、やはりしっかりしたフレームで作りたくなった。彼のお店には年季の入った吊るしのサイクリング車のクロモリフレームがあったが、「これは少し大きいですね。サイズ520から510あたりが良いでしょう。」。確かに、そのツバメのようにスマートな鉄のフレームはサイズ550と言う事で、それは自分には合わないことは直ぐにわかったのだ。それを即座に見抜いた店主の慧眼にも、恐れ入った。

店主さんにオーダーメイドのフレームで「旅する自転車」を組んでもらってからは、自転車旅はより愉しいものになったのだ。車での、輪行でのサイクリングの帰りにはやや遠回りでも必ずお店に立ち寄り、素晴らしかった一日の旅について店主さんに報告することが何よりも嬉しかった。彼はそれを我が事のように嬉しそうに聴き、また自分が旅の中で感じた疑問についての十分すぎるコメントをくれることも忘れなかった。

サイクリングの帰りばかりではなく、仕事帰りにも自分は事あればこのお店に立ち寄り、ご主人の作業の風景を見入り、時折質問をしたりすることがいつか大きな楽しみになっていた。田舎の小さな街で自転車店を営み、いつも指先が真っ黒だった自分の祖父の面影を何処かで追っているのだろうか、と思う。子供の頃、祖父の自転車修理を見ていることが、自分は何よりも好きだった。

先にも書いた通り、坂の街は自転車には厳しい。整備なしに乗り切ることはできないだろう。事実、彼の店にはひっきりなしに修理や整備のお客様が訪れる。

「ブレーキが甘いのよ」
「夜のライトが付かなくなりました」
「ペダルをこいでもパワーが入らないわ」
「タイヤがぺしゃんこになってしまいました」

制動系、電装系、駆動系、走行系、さまざまな個所の修理依頼が舞い込んでくる。店主さんは症状を見てだいたいの問題を把握し、修理の概算時間と価格を伝える。見立ての良い外科医だ。しかしいつかこんなことを言われていた。

「電動自転車になってからは修理の内容が大きく変わりましたよ。モーターユニットはちょっとしたブラックボックスで、修理よりも交換になってしまうんですよ。だから高くついてしまい、申し訳ないんです。」

しかし彼は最新のそんな技術にもしっかり対応をしている。彼は自分の様な趣味で乗っている自転車の修理よりも、坂の街を行き来する自転車の修理を何よりも最優先する。学生さん、子連れのお母さん、主婦。彼らの「足」は彼によって支えられているのだった。そしてお客様も彼に自転車を預け、ひどく安堵して店を後にしている。約束の時間にベストなコンディションで自分の愛車の修理や整備が出来上がっていることを、彼らも確信している。

そんなご主人。最近少しお疲れ気味で元気がない。体調を崩されたという。聞けば自分が病に伏せ入院していた頃、ほぼ同じ時期に彼も病で入院していたのだという。彼の退院を待ちわびたように「坂の街の故障車」は一気にお店に集まったのだった。しかし充分な休みが取れなかったのだろうか。再び入院するという事でしばらく店を閉じるという話だった。それからしばらく、シャッターの下りた店の前を自分も寂しく歩く日々だった。

先日店の前を歩いたら、お店は開いており、ご主人はややお疲れの様子だがご健在だった。

「おかえりなさい」
「治療はもう少し残るんだけどね、病院に居ても仕方ないし、皆さん困っているだろうから、出てきました。」

それが許される病状だったのなら言うことはないのだ。さっそく「坂の街の自転車」のオーナーたちが三々五々やってきて、ご主人に仕事復帰の祝いを述べる。生活に必要な自転車の整備と修理を最優先する店主さんの復帰を皆が首を長くして待っていたのだった。見る見るうちに彼の店の軒先には受注残が沢山出来たのだった。

仕事に対するこだわり。通勤通学・仕事にと、働く自転車を最優先する事。お客様に誠実に向き合う姿勢。確かな技術。技術論もさることながら、自転車乗りとしての心構えや、自転車店としての哲学をも遠巻きながら教えてくれたのだった。

自分もロードとランドナーを少し彼に見てもらいたかったがそれはやめておいた。これまで沢山愛車整備のコツは無償で教えてもらった。彼からいったいどのくらいの自転車のノウハウを教わったのか。これからは僕がそれを実践する番だ。それが僕が彼にできる恩返しだろう。どうしてもだめな時はお願いします。もちろん店主さんはニコニコ笑いながら、とっておきの「ワザ」を教えてくれることだろう。でも、ワザは只では貰いませんよ。自分もそれに見合うようになっていますから…。

「坂の街の自転車屋さん」には、今日も「働く自転車」が整備を、修理を待っているようだった。それはそうだ。このお店が無ければ、この街で自転車に乗ることは出来ないのだから。

パリ在住時に現地の「売ります買います掲示板」で手に入れた1980年代のフレンチロードバイク。こんな車でも帰国後にはしっかり整備していただき、日本の防犯登録までしていただきました。写真はパリ南東、セーヌ・エ・マルヌ県の街、プロヴァンへのサイクルツーリングでの一コマ。菜の花畑を縫って古い街まで、ゆっくりと走ったのです。