日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

そば部長

いつも飽きもせずに「もりそば」ばかりよく食べるなあ。

当時自分は電子機器の海外営業部に属していた。商品を海外の会社にOEM販売していた。そのお方の肩書は部長さんだが営業ではなく技術部門ご出身で技術アドバイザーでいらした。茶色が彼の好みなのだろう。いつも茶系統のスーツを着ていた。部長さんを名乗っていたのだから役職定年前だったのだろう。しかしまだ二十代の自分には五十歳を過ぎた男性の年齢の違いなど判るわけもなかった。

彼に技術的疑問点を聞くと、よくぞ聞いてくれましたとばかり目を細めて教えてくれた。何故だろうコソコソ話のように話すから自ずと彼とは膝詰めになった。軽い筆圧で書いた小さな文字と図解で示してしてくれると技術音痴な自分でも疑問は解けるのだった。その彼は大の蕎麦好きだった。当時はまだ女性社員はお茶くみとお昼の出前の注文を聞くという、今ではとても信じられない風景がオフィス内にあった。女性社員が彼に注文を取りに行くと「僕はもりそば」とニコニコして言うのだった。僕は彼のことを密かに「そば部長」と呼んでいた。当時自分が交際していたその女性社員はいつも同じメニューだから注文が楽でいい、と笑いながら半ば呆れていた。

出前の「もりそば」なのだ。挽きたて打ち立てかもしれぬが配達の岡持の中で麺は団子のように固まる。いざ食べようとそれを持ち上げると麺は塊になってザルから持ち上がってしまうのだった。指で剥がしたりしていた。そのうちつけ汁を上からドバドバかけ出した。それでも固まっているが彼は目を細めて「そばは美味いね」と、言われるのだ。見かねて進言した。一旦ざるを水道に持っていって水をかけて切ったらどうでしょう?すると細い彼の目が輝くのだった。そのうちに職場の近くにチェーンの蕎麦屋が出来た。ファーストフード的に蕎麦を出すのだが駅の立ち食いとは一線を画し値段の割に本格的だった。もりそばは茹でたてをきっちり水で締めていた。お昼に誘ったらますます彼は笑顔だった。こちらも嬉しくなった。「今日は行かないの?」と誘いに繰る始末だった。

蕎麦は美味しいと思うまでに時間がかかるのではないか。少なくとも幼童が蕎麦を食べて美味しいといっている風景は余り想像出来ない。舌触りなのか、見た目の地味さなのか。自分とて駅ホームの温かい立ち食いそばは好きだったが、あれはのど越しを味わうのではなく手軽に暖かいものを食べる、という食べ物だった。調理の速度とせわしさが大切な味の要因だった。盛り蕎麦が美味しいと思うようになるにはやはり四十歳近くまで待つ必要があった。池波正太郎あたりの影響もあっただろう。ずっとそれは通人の粋な食べ物という位置づけだった。

そんな「そば部長」さんには彼の注文を受けていた女性社員と僕との結婚式にも出て頂いた。長く年賀状のやり取りがあったが、自分の海外赴任の際に途切れた。勿論いつしか退職されていた。相手がある程度の年齢になると年賀状を出すのはためらわれる。それも理由の一つだったのだろう。

家内と二人で厚木の山里へ散策に出かけた。たわわに実った柿の木が菊畑に立っている。小さな秋がそこにあった。神奈川県も中部まで来ればこんな田舎風景がある。丹沢山系の水も美味しい。すると必然的に蕎麦が美味しくなる。とある蕎麦屋に入った。もちろん「盛り蕎麦」を頼む。正確には天せいろだった。・・とても美味しかった。

ーねぇ、あの「そば部長さん」元気かな? 
ー団子になっていたそばにつけ汁を垂らして食べていたわね。
ー好きだったんだね、そば。
ーあの笑顔は忘れられないね。ご存命だといいね。年齢などきちんと知らなかったね。

どちらからともなくそんな話だった。茶系統のスーツに茶色いもりそば。そばのように細い目と笑い顔。おいしいねぇとささやくような小声。すべてを思い出した。住所は手元に残ってはいるがとても年賀状は出せなかった。ただ思う。そばは健康食と言う。それにまだあった。彼が出前でたべていた蕎麦屋の屋号。それは「長寿庵」だった。いまもご健在に違いない。

長く生きてくると様々な人に出会う。固まったそばにかじりつく人は初めて見たが満面の笑みなのだからそこには幸せがある。良いではないか。そば部長さん、きっとどこかで今もそばを食べられているだろう。秋が深まっている。日ごとに空気が尖ってきた。ならば彼は今日は暖かい鴨せいろかもしれなかった。僕も食べようと思っている。熱い蕎麦湯も忘れずに。

いくら打ち立て茹でたてであっても出前の岡持で揺れて来れば麺は固まってしまう。そこにぶすりと箸を刺して食べるやり方を知った。そば部長はとても笑顔だった。

厚木市も少し離れれば長閑な山里になる。蕎麦は当然美味しい。冷たくしこしこしたそばを食べながら思い出す。いつも笑顔だった「そば部長」を。残念ながら自分も妻も、彼の年齢も知らず消息も知らなかった。お元気だろう、と思っている。

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