日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

謹賀新年・正月三題

年が明けた。今年はどんな年なのか。自分は周囲に生かされている、そう思う日々が続く。今年もよろしくお願いします、と万物に頭を下げる。

題一 : としおとこ

今年はウサギ年だ。干支が中国から来たと知ったのは仕事で中国系アメリカ人と話していた時。ディナーの時だろうか、「自分はイヤー・オブ・ドラゴンの男だよ」と話してくれた事だった。自分がイヤー・オブ・ラビットの生まれだ、と返すと彼は喜んだ。日本も同じ文化だね、と。米国に住みながらも母国の文化を大切にしている事が素晴らしいと感じたのだった。古い日本の文化的な価値観を当時はつまらないものだと思っていた。しかしそこで、自分も大切にしようと目が覚めた。

考えてみればウサギは素晴らしい。見た目の愛らしさもある。大人しく置物の様にも思える。しかし、雪の山を歩いてみると気づく。彼らがとても活発であることに。雪上に残る独特の足跡は直ぐに彼らのものと分かる。寒さにも負けず動いているのだった。しかし狐の足跡が雪上に別方向から近づいてくるとそこからは生死を掛けた逃亡劇を雪の上に見ることも出来る。足跡の果てが朱に染まっていたら狐が上手。踵をかえす狐の足跡を見つけたらウサギが上手。

としおとこだった。日本の慣習に従うなら「赤いちゃんちゃんこ」になるわけだ。12歳の記憶は小学高の卒業式。24歳の記憶は「彼女」と時を過ごした楽しき日々。36歳の記憶、48歳の記憶、ともにあまりない。24歳の「彼女」は妻になり子育てで忙しかったのだろうか、自分は連続する日々の中に酸欠で喘いでいたのだろうか。赤いちゃんちゃんこをきるかは別として、これからの一回りは長いようでとても短い事を体感している。

逆境にめげずに「跳ねる」。時に予期せぬ天敵に襲われる。それでも「逃げ勝つ」。自分は何をするも”逃げの一手、逃げを打つ”のは昔から得意だった。しかしウサギは跳ね飛ばなくてはいけない。そうしないと天敵は逃げては行かないだろう。見ものな一年が始まる。

題二 : お雑煮

47の都道府県。日本を地方でおおくくりは出来るだろうがそれは乱暴。それぞれ言葉も違えば食文化も違う。香川生まれの両親は歳を経るほどかの地の言葉となった。彼らが納豆を食べているのを見たこともない。三つ子の魂百まで、だろうか。自分も無意識に香川と中高六年を過ごした広島の言葉が出る。

妻と家庭を持ち最初の新年に目の前にしたお雑煮に面食らった。出汁のおすましに焼餅と鰹節が浮いていた。白みそに型抜きした人参やダイコンは何処へ行ったのだろうか。麴すら浮いている甘い白みその汁はどうなった。

だしの深さとすこししょっぱい淡白な味は美味しかったが、年が変わっていきなりお雑煮が変わったことに新しい人生のスタートを感じたのだった。時折母の作るお雑煮が懐かしくも思えたが、頑張って作ってくれる妻の前にそれは言えなかった。他人同士が一つになる。お互いの文化が混ぜ合わさる。そんなものだと思う。そんな母も高齢で昨年あたりから厨房に立つ事も無くなった。母の雑煮に触れたことは結婚後はなく、これからもないだろう。

今朝がた元旦のお雑煮を作りながら妻は言った。「知らなかった。私のお雑煮は福井県のお雑煮らしい」と。30年以上ずっとこれが東京のお雑煮かと妻も自分も思っていたが、彼女も何か思うところがあり調べたのかもしれない。妻は東京生まれだが、福井は三国生まれの祖母の下で育っていた。時折知らないことわざの様なものを口にしたが、それは福井の言い伝え。お雑煮も福井のものだった。

それを聞いて嬉しくなった。年に一度の越前旅行をしていたわけだ。お雑煮は典型的な例だが47の県に散る様々な文化に触れる事は素晴らしい。自分には行き残した県もある。まだやり残しが残っている訳だ。この年齢で宿題があるとは何と魅力的な事だろう。

題三 : 年賀状

小学生の頃の正月の楽しみに年賀状があった。冬休みが明ければすぐに会うはずのクラスの仲間に出す年賀状。はがきを出してそれが届くというシステムに興味があったのだろうか。ワクワクした。多分稚拙な絵を描いて下手くそな字で挨拶を書いたのだろう。親としては郵便代の無駄遣いと思ったのかもしれない。

そんな年賀状も社会人になり家庭も持つにつれ位置づけは変わる。余り几帳面で無く面倒くさがり屋の自分には義務感が先に立ち面倒になった。後回しにしていた行事も会社生活も終わりが見えてくると必要最低限に絞った。友人関係はSNSやEメールで事足りる。ただ、それらの伝手もなく繋がっているのは遠隔地に住む親戚や友人だろう。毎年年賀状をかわす高校時代の友人。一時期彼はアメリカに転勤し連絡は途絶えたが今も中国地方に暮らしている、そんな便り伝えは年に一度の年賀状。

妻が友人から来た年賀状を見せてくれた。ご主人と死別したという連絡はもうふた昔前。しかし今年の賀状には数年前に再婚した姓でこうあった。「今年一月〇日に〇〇県に移住します。向こうで仕事も見つけました。夫婦そろって働きます。遊びに来てね」と。そこは南の県。台風時期は大変だろうが冬も無く長寿の県。これからを過ごすにはいかにも素敵な地だろうと思えた。この年齢で新しい世界へいくのか。…そんな便りは妻も嬉しかったのだろう。自分同様に筆無精な妻がせかした。「年賀状、早く買ってきて」と。

自分宛てに来た連絡の伝手もない昔の友人へようやく返信を書いた。この年齢になると相手の健康をおもんばかって積極的に連絡を出すのもためらわれていたのだ。

年賀状は気をつかう。しかし昨年は年賀状の住所にすがり手紙を出して36年ぶりに再会出来た学友も居た。年賀状のお陰だった。今年はあの高校時代の旧友にまた出してみよう、手紙。そして再会したい。妻はきっと、南の県へ遊びに行くだろう。

連絡。便り。消息通知。手段はハガキでも、SNSでも、Eメールもある。前島密が日本に導入した社会システムは今も形を変え健在で、社会はそれに頼っている。とてもありがたい。それは自分自身に新しい風景を見せてくれるだろう。

恭賀新年。今年もウサギのように元気で飛び跳ねたい。そう念じた。