日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ミントのような葉

「焼酎には梅を入れるのもいいけど、これだな。」

そう言って厨房から出してもらうのはシソの葉だった。それを焼酎に浸してお湯で割るのがY事業部長のお気に入りだった。彼との飲食はたいていそれだったがお客様との会食も同様に行くのが彼流だった。お客様と言ってもそれは米国人であり英国人だった。Yさんは英語は片言レベルだった。主にはアメリカ生活の長い上司が通訳をしていたが、ビジネスの核心に触れないパートを通訳するのはたいてい自分だった。

This is Japanese spirits, with a kind of mint leaf. 

シソと言う英単語を知らなかったので「ミントのような葉をいれた日本のスピリッツ」…そんなプアな通訳しかできなかった。それでもお客様には「ワイルドで好い香りだ」と結構評判で、それを見てYさんは満足そうだった。焼酎は強いので調子に乗ってグラスを進めると酩酊してしまう。そこでビジネスの話を落とし込もう、とYさんが考えていたかどうかは分からない。

事業部の主だったお客様は全て米国と欧州のメーカーだった。BtoBのOEM事業だったので如何に新規顧客を増やすか、既存製品の後継機を扱ってもらうかがポイントだった。前者は容易ではなくまずは後者に力点が置かれていた。信頼関係の構築にはお客様と接する営業・技術一体のチームも大切だったが最後はトップの出番だった。当然ながら事業部のトップには海外営業畑で海千山千を経験してきた人が就任してきた。しかし会社にも定年があり、信頼されていた事業部長が退任した後は何故か技術と製造部門を率いていた方が就任された。それがYさんだった。

技術部門や製造部門は我が手にあるが海外営業は畑違い。それがはた目にも良く分かったが、偉ぶらずに分からないことは分からないと下っ端の自分迄に聞くようなお方だった。記憶は定かではないが、岩手県のご出身だったと思う。南部富士と呼ばれ岩手人の誇りでもある岩手山は颯爽としているが重厚な山でもある。二日かけてその山頂を踏んだ時に、ふとY事業部長を思い出した。「動かぬこと山の如し」、という雰囲気だったが同時に「泰山は土壌を譲らず」でもあり、まさに岩手山のようなお方だった。周りの意見を汲んで色々決められていたのだと思う。西洋人にはわかりずらいタイプの人だったかもしれない。

食後の一杯に、焼酎を飲むことがある。たいがいストレートでやる。複層的な香りが味わえる。今日ばかりは家にシソの葉があったので、久しぶりにYさんの真似をしてみた。煮干しを乾煎りしたものをつまみに頂く焼酎は最高だった。直ぐには焼酎の匂いが勝つがしばらく寝かせているとすっきりとしたシソの香りが混じり、苦みも出てくる。Yさんはこれが好きだったのだな、と思った。

35度程度の酒であるが疲れた時などはすぐに効いてくる。疲れは一時的に何処かに行ってしまい、愉快になり、眠くなる。Yさんは、畑違いの部門で重責もありそれなりに辛かったのだろうな。だからこんなきつい酒が好きだったのだろうか。酒を飲んで明日につないでいたのだろうか。そんな事を、彼の朴訥な顔とグラスを包む分厚い手のひらと共に、ふと思うのだった。

彼の接待時の焼酎が奏功したのか、いや、素晴らしい商品を頑張って上市させ続けるよう自らの出身部門にはっぱをかけたからか、事業部の業績は好調でYさんは常務になられた。その後数年で定年で顧問に退かれたと記憶する。社友会に入る事もなく自分は追われるように早期退職した。Yさんの事は今は何も分からない。30歳は年上のはずだった。

ジャパニーズ スピリッツ、ウィズ ア カインド オブ ミント か。自分は何をやっていたのか、何故か少し笑ってしまった。最後の1センチをぐっと飲んだ。確かにミントのような香りが口中に広がり鼻腔に抜けた。

焼酎にシソの葉を入れるだけ。少しちぎると風味が出やすかろう。おつまみは煮干しをフライパンで乾煎りしたもの。煮干しもほろ苦ければ焼酎も爽やかで苦い。それは何十年もの時の香りかもしれない。

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