日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

お義父さんのボール

余り高く上がらないようにティーは低めにセットする。朝一番のホールではえてして振ってしまい大火傷をする、それが自分のパターンなのだ。

出鼻だけはくじかれまい、と、いつしか最初のホールはドライバではなく5番ウッドを使うようになった。これならば火傷の具合はそれほどでもないだろうが、自分の様なへっぴりごしのスイングではまず芯にあたらない。仮に当たっても大抵は右にスライスしてOBか、左に引っかけてワンペナか。いずれにせよあさイチから波乱万丈が待ち受ける。

ステンレスの棒を一本抜くと無情にも一本線。あぁ自分がオナーだった。参ったな・・。さて、力まぬように、ハーフスイングでゆったりと打ってみよう、そう口にして、イチ、ニィ、サン。

スカーンとクラブの芯にあたった。好い手ごたえだ。球は前方ハザードを難なく飛び越えやや右手にカーブしながらも迷わずに飛んで行った。「ナイショー」と声が飛ぶ。あぁ、良かった!あれ、思ったよりスライスするぞ。OB杭は超えないでくれ。と思っていたら「カツーン」と音が。ああ、木に見事にヒットしたな!今日も朝から大荒れだ…。

* *

新卒で入社してから57歳で会社を辞めるまで、自分は海外顧客への営業の仕事を長くやってきた。管理職になり国内のお客様も担当になった。それまで縁がないと避けていたが仕事上必要になったのがゴルフだった。

お客様との会話。自分がゴルフをやらないとわかると仕事以外の話がなかなか成立しない。上司はゴルフを避けるわけにはいかないよ、と言う。その心は、ゴルフを通じて相手を知ることが出来る。信頼関係が構築できる、という。確かに18ホールを5時間以上もかけて狭いカートに乗り合わせ、それぞれが山あり谷ありのショットに一喜一憂する。自分のスコアだけでは済まない。良いショット、悪いショット、相手を腐らさないようにチアアップするし、まず同一パーティのボールが何処に飛んだのかも探さなくてはいけない。自分のショットに加え、気を使わないといけないのだ。それが即受注増加につながるほど社会は甘くはないが、そんな交流を通じてお客様との間に一定の信頼感が出来上がるのだろう。それを上司は伝えたかったのだと思う。

仕方なくクラブセットを入手し、打ちっぱなしで先生に教えを請い始めたゴルフ。残念ながらお客様とのラウンドをするところまでは至らずに、自分はメンタルを崩し他部門へ転向した。ただゴルフクラブだけが置き土産のように残った。

メンタルの病も一通り落ち着いたころ、あまり触れていないクラブセットが気になった。というのはやはり球を打って飛ばすという非常に単純な行為が、純粋に面白いと思ったからだった。それから地元の友人や会社時代の友人と回る機会を得て、楽しさを感じ始めたころにコロナもあり、また自分自身も病に罹患しゴルフは遠い世界になった。

* *

長女が結婚してはや2年が近い。コロナで結婚式は大幅に遅れ、身内だけの小じんまりとして好ましい式を挙げたのも最近だった。娘の旦那は口数は決して多くはないが誠実で相手の話をじっくりと聞く、音楽もスポーツも好きな好青年だった。

結婚の挨拶、年始の挨拶、それ以外は実はあまり顔を合わせたことはなく旦那とはゆっくりと話をしたいと思っていた。そんな中ようやく娘夫婦とのゴルフが実現したのだった。

さて、先ほどのティーショットは何処に飛んだのだろう。カートはフェアウェイ横を進む。それらしい林をめざすと、いきなりこう言われた。

「お義父さんのボール、あそこにありますよ!あの木の横ですよ!」

えっ?「おとうさん?」一体それは誰だろう。しかし何度も言われれば、それが自分の事だと気づくのだった。おいおい、おとうさんって何だ? しかしまたもそう呼ばれて、「あぁそれしか呼びようがないよな…」と気づくのだった。しかし気恥しい。僕はそんな器ではないよ。


娘が小さい頃自分は「パパ」と呼ばれていた。さすがに成人してからは本人も恥ずかしいのだろうか、「チチ」と呼ばれることも増えた。しかし彼女から「お父さん」と改めて呼ばれることは無かった。それがいきなり「お義父さん」なのだから、まごつくのだった。

・・「あぁ、あれか!ありがとう。よく見つけてくれました。そんなに悪いライではないね!」

さて、お義父さんの第2打は深いラフなので底の丸いユーティリティで。今度こそカツンと芯を食って真っすぐにフェアウェイの上を飛翔した。旦那はすぐに見当を付けて、「お義父さんいい当たり、あー、フェアウェイバンカーですね」…。成程、パーファイブはそうたやすくない。

「お義父さん」に呼応したわけではないが、なにかの化学変化が頭の中に生まれたのは事実だった。いつの間にか自分自身も、旦那の名前を「さん」づけから「くん」づけに変わって呼んでいることに気づいたのだった。

疲れてきたのか娘のショットは途中から一時冴えなくなり、イライラが伝わってくる。ティーショットは左の谷に消えていく。成程確かにゴルフはメンタルのスポーツだ。ここで、「ティーショットで体の向きが左に向いていたよ」と言いたいところだが、娘の性格はよくわかっているので黙っている。代わりに旦那様と目線をあわせる。

「今言わないほうがいいね。ヤツは自分で何かを悟るまでは人の話を聞かないからね」
「そうなんですよ、お義父さん。少し待ちましょう」

やはり、さすがに夫婦だな。娘の動作と感情がどう結び付くかも把握していた。すべてお見通しだった。自分の様な自分勝手な親の下で成長した娘、そこになにがしかの良さを見出して、悪しきも理解して対応してくれているのだから。よくぞ結婚してくれた、感謝しかない。

お義父さんである以上、なんらかの威厳が必要なのではないか。人生訓の一つや二つを偉そうに語らなくてはいけないのではないか。勝手にそんな風に思っていた。しかし、今日の「お義父さん」にはあまりにも虚を突かれすぎた。18ホールに渡り、チアアップも忘れずに、人の球もいちはやく探しだして貰いお陰様で楽しく回れた。娘の事もしっかり理解し、うまくやっている素敵な男性を前にして、二人に今更自分がなにを言うのだろう。

彼らにとって「あってほしい自分の姿」は何だろう。もう何も伝えることもないし、自分よりも相手の事を知り、絆もある。オールドタイマーの自分は、ただ健康であればいい、偉くあろうという気負いなく、あるがままに生きていれば良いのだろうか。マッカーサー将軍が語った退役演説がアレンジされて頭に浮かぶ。「老父は偉ぶらず。あるがままに静かに過ごすのみ」。

あちこちに飛びまわったボールも、最終ホールを残すだけとなった。その一打を放ってまたも言われるのだった。「お義父さん、今日はよく飛んでましたね!お義父さんのボールはあのフェアウェイ花道右手ですよ。」

はい、お陰様。次はあるがままに打ち、グリーンに乗せますよ…。

何度も見つけてもらった「お義父さんのボール」。フェアウェイ横のラフは夏草も濃くて、苦戦しそうだな。「おとうさん」だから、威厳をもってショット、もちろん失敗するわけにもいかないぞ。あれ、それは違うよな・・・。