日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

エースの登板

カーンと上がったレフトフライ。

「お前、もう少し前じゃ、前に出ろ!」

そんな声に反応してか、体がビクッと前に出てクラブを構えると、なんと、ボールは嘘のように自分のグローブに入った。

「おお、ええ捕球じゃったなぁ」

それは大学1年の体育の授業での一コマだった。小学生のころから余り体が強くなかったせいか、自分は中高と体育の時間が最も嫌いだった。運動全般苦手だが、特に球技は呆れるほど下手くそだった。それでも子供の頃は校庭で空き地で、三角ベースか草野球くらいはやっていたのだ。何といっても王・長嶋全盛期だった。彼らに影響を受けなかった小学生は居ないだろう。二人は別格だが、強気な奴は誰もが堀内になりたがったし、すばしっこい奴は黒江や土井になりたがった。もちろん高田が良い、柴田が良い。みんなそれぞれのヒーローがいた。

大学の体育の授業は初年度の必須科目で履修しないわけにはいかなかった。幾つかの競技の選択肢があったが野球を選んだのはそんな昔の時代背景に加え、入学早々に出来た最初のクラスメイト・S君が野球を取る、と決めたので、右へ倣えだったのだ。

入学式の後のクラスルーム、名字で五十音順で並んだら自分の前に居たのがSだった。とにかく背が高い、脚の長さは松田優作。ニキビがちの顔立ちも綺麗な二重瞼で世が世ならジャニーズだったかもしれない。身長165センチの小太りな自分には彼はカッコよかった。しかし、言葉は広島育ちの自分に近しかった。イントネーションや単語に違和感がなかった。聞けば山口県人という。言葉に親しみを感じ、それからは彼とつるむことが多かったのだ。

Sは背も高く器量よし、なによりも楽天的でくよくよしない。明るく誰にでも話かける。笑うと顔が皺だらけになる。情に厚く、面倒見も良かった。人はだれしも自分にないものを持つ相手には惹かれるのではないだろうか。Sの傍にいると自分の気持ちは安らいだ。自分の中で彼がヒーローになるまでに時間はかからなかった。Sが体育実技で野球するなら俺もだ、となる。

しかし、すべてに恵まれていると思えるSもなぜか女性には自分同様に積極的ではなかった。自分が冴えないことは十分わかっていたが、奴は何故? しかしそれがまた自分には嬉しかった。・・自分たちの母校は東京は表参道にありシンガーや芸能人も輩出した派手な学校だった。中等部、高等部を経たクラスメイトも多かったが彼らは明らかに自分とは異質の世界に住んでいた。そんな中にポンと地方から入ってきたので違和感が委縮感につながったのだろう。なにせ同学年の女子たちは雑誌から出てきたようなハマトラだったのだから雲の上だった。彼女たちは眩しすぎて何をやっても露出オーバーで自分の目の中にはなにも映らなかったのだ。それは奴とて同じだったことだろう。

また、楽天的でくよくよしないというSの良さは、裏を返せば無計画で出たとこ勝負ともいえた。それには少しはイライラもしたが、総じてウマが合ったのだろうか。ずっと彼と過ごしたいと思ったのだった。

濃密な時間を過ごしたSとの4年間はあっという間で、彼は郷里にUターン就職、自分は東京の会社に就職した。あまり積極的にはなれなかった二人も数年後にはそれぞれに家庭を持ち、社会の中でキャリアを伸ばしてきた。800キロ離れている地に居る友人との再会は徐々に減っていくのも仕方がなかった。しかし時折連絡は取りあい、出張などの機会を通じ稀に会う事もあった。

球技全般に長けていたSは特にゴルフが好きだという。奴の体なら、確かに飛ぶだろう。学生時代はともにビリヤードにも興じたが確かにあいつは卓上の小技も上手かった。飛びも良くグリーン周りも上手いのか。聞けばそのスコアはシングルプレイヤー級という事だった。

* *

コロナが沈静化し自分の病も治療終了してから1年経過。ようやく娘夫婦とのゴルフがあった。婿殿が気を効かせて開催してくれたのだった。コロナ前・病前と変わらず自分のゴルフは情けない。ショットは散りまくるし、グリーンでは3パッドでは済まない。Sがこの場に居たら「お前、アドレスが良くないっちゃ。構えはこうじゃ。スイングは、もっとコンパクトに振るんじゃ」と忠告をくれるだろうし、それを自分も待っている。

娘夫妻とのラウンド途中でよりによってパターのヘッドが分解してしまった。経年劣化に加えて手入れ不足だったのだろうか。急遽クラブハウスで借りたパターは、大型のヘッドのパターで、モーメントもそれなり。なんととても振りが良かった。一発目のホールではいきなり5mのロングパッドを沈めた。奇跡だろうが、気に入った。いいな、これ。譲ってもらえぬかと一応尋ねてはみたがさすがにそのクラブは貸出専用だった。「あれは魔法の様なパターじゃったよ。ええクラブなんか?」そんな話をSにしたら、ヤツはこうきた。

「お前、それはワシが今使っちょるエースパターと同じモデルじゃ。お前にあげるよ。つこーてくれ」

彼はエースパッドは何本も持っているという事でこのパターで無くとも良いのだろう。実際Sなら使うクラブが全てエースになるのだろう。数日後に懐かしい筆跡で書かれた送り状が貼られた宅急便で送られてきたパターは、確かに、クラブハウスで借りたものと同じだった。

ああ、エースが我が手元にやってきた。

振ってみるとモーメントも握りも借りたものと同じだった。

とうとうエースが来たな。エースの登板はいつのことだろう?それはヤツとの初めてのラウンドにしたいな。

* *

10年ほど前に家族で久しぶりに山口に遊びに行った。子供たちにとっては初の中国地方。しかし自分にとっては観光というよりはSに会うのもその目的だった。早速昔話に花が咲いた。相変わらずの男ぶりの良さと優しさ、そして懐かしさに、家族が同席していても構わずに涙が止まらなかった。

昨年は伯耆大山の登山で鳥取に行きその帰りにSの住む街に立ち寄った。これも山が目的だったのかSとの再会が目的だったのか、よくわからない。帰路、新幹線の駅での別れ。「はよ、いねや!」と言ってもヤツはずっと改札の向こうで手を振ってくれていた。でかい体は改札では否応にも目立った。情けないが淋しくて泣けた。しかし奴もまた、泣いていた。

書き出したらきりがない。そんなSの事を思い出し、こうしてキーボードをたたいているだけで、涙があふれるのは何故だろう。

せめてエースの登板の際は、グリーンが再開の喜びの涙で霞まないようにしないといけない。しかし、それも無理な話だな。エースの初戦黒星はどうも見えてるようだよ。

友から頂いた彼のエースパター。彼がこれを入手した際は余り手入れされておらず、彼はこれを磨き、愛機としたと言います。ゴルフクラブは汗とかで土で汚れるから、キャリーバッグから出して綺麗にして保存してくれよ。とは流石にシングルプレイヤーのお言葉でした。

クラブの解説はこちら。昔のパターですが、売れた商品のようです。

https://lesson.golfdigest.co.jp/gear/catalogue/putter/gca000001263501.html