日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

心を映す鏡

嫌なことが続くと部屋の中にこもりがちになる。外に出るのが億劫だ。すると心は更に内向きになる。負の無限ループはこうして生まれる。断ち切るには無理やりにでも外に出て体を動かすのだ。すると思い悩んでいたことも何処へ消えていくことがある。しかし直ぐに戻ってくる。それでも体を動かす前よりは楽になる。

ゴルフの練習場に行こうと思ったのは、やや内側に気が向く昨今を打破しよう。スカスカとゴルフボールでも打って身軽になろうと思ったのだろう。

久々の練習場だった。体がぎくしゃくしていた。まずは素振りから、とビュンビュン振ってもクラブはマットをこすりもしなかった。弾を置いたところで芯を食わないどころか表面をこすってトップか、手前のマットを叩いでダフってばかりいた。当たりはじめてくると今度は全てが途中から円を描くように右に飛んでいく。スライスだった。クラブが開くから右に飛ぶのだ。頭にきて僕はボールの横っ面を力任せに正面から弾いてやろうとする。今度は空振りか、クラブの先にあたって一直線に右に飛び出すだけだった。ゴルフを覚えたころに見たレッスンプロの動画サイトを思い出した。スイングを急ぐ必要ないですよ。テイクバックからスイング、フォロー迄、大きくやらずにまずはコンパクトにやりましょう。すると球が捕まりますよ、と言ってた。

トイレに行き顔を見て驚いた。随分と歳をとったなと。それは顎髭を生やし始めたせいもあるかもしれないが、顔に怒りが在った。如何にも苦汁を散々飲んだような酷い顔だった。ベンチに座り暖かい缶コーヒーを飲んだ。僕は日ごろの苦しみやくやしさを打ち砕く、そんな鬱憤を晴らしにここに来たわけではなかった。ただ頭を空っぽにしたかっただけだった。西向きの練習場は明るい秋の陽射しに満ちていた。

イチ、ニィ、サン。ゆっくりと一連の動作をやってみた。まずは短いウェッジから打つと芯を食った感触が在った。アプローチウェッジで70ヤードか。数年前の飛距離が出たな、と満足した。7番アイアンにして28度のユーティリティに持ち替えた。クラブが長くなってもゆったりスイングすると球は前に飛ぶ。ユーティリティで真っすぐに140ヤード飛べば御の字だった。隣で練習しているお父さんがやたらと上手かった。フォームに無理が無くスイングが早く、ドライバーのショットは全てが一直線に飛びネットの250ヤード表示を捉えていた。

負けてならじ。ドライバーでかっ飛ばそう。そう思ったのがいけなかった。勢い込んだスイングはすべてがダフルかスライスばかりだった。いらだってきた。一息入れた。焦らずにゆっくりと。簡単そうで難しい。イライラしていたら最初っからまともに当たらない。上手い人のプレイを見ると刺激されるが、俺だって、と思ったらだめになる。平穏な気持ちで大きく息を吸って打つとクラブは芯を捉え嘘のように球は飛ぶ。

なんともゴルフは心を映す鏡のようだ。メンタルスポーツとよく言われる。日常を持ち込んではいけない。焦りやいら立ちはミスを呼び、スコアは破滅する。まるで誰かの人生の様だった。

大きく息を吐いて最後の五球をドライバーで打った。三球ほど曲がることなくネットに真っすぐ飛んで行った。それは自分にしては会心のショットだった。ゆっくり打つとは技術論ではなく精神論だった。それは毎日の生活に当てはまる。

会計のカウンターの横にも鏡があった。我が顔は先ほどとは少し違っていた。これで人並みだな、と思った。

久しぶりの練習場。ここに日常を持ち込んでも、隣の芝生を見ても上手く行くはずがない。我が心を映す鏡なのだから。