日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

スパイスの難しさ

専門店で食べたことは一度きりだった。それで自分で何とか似たものを作ろうというのも無理な話だった。それらしかったが違っていた。本物を食べたくなり店を探した。隣町のショッピングビルのフード・コートの一角に店を見つけた。

スープは辛さが三段階。載せる具材の違いが料理のバリエーションになっていた。ゴロゴロ野菜は基本形でそこにチキンレッグ、豚角煮、炙りバラ肉といったトッピング具材だった。

プロの手によるスープ・カレー。模倣するにもやはり舌の実体験が必要だった。運ばれてきた皿は美味だった。自分が見よう見まねで何度か造ったそれはカレールーをわずかに使うのでいつもトロリとしていた。お店の物は粘り気を一切排したシャバシャバとした液体感の強いものだった。また具材は煮込まずトッピングしたもので野菜が持つ本来の甘さや食感がしっかりしていた。

こっそりとお店のカウンターに居た男性に聞いてみた。そのすぐ裏がキッチンだった。「美味しいですね、野菜は炒めているのですか?スープは手間がかかるのでしょうね。」。オープンキッチンと言う解放感だろうか、彼は直ぐに話してくれた。野菜は素揚げしている事。トッピングの肉類はそれぞれ具材に応じて調理しているという事。スープはキャベツを始め各種野菜などをじっくり煮込んで作っている事。簡単ではないな、という実感だった。

さらりとしたスープが好みだった。余り日本のカレーが好きでないのは「トロリ」としたあの重たい粘り気だった。インド・ネパール料理店カレーもタイ料理のカレーもそれとは無縁でそこが好きだった。今度こそさらりとしたカレーを作ってみよう。そう再びトライした。このエネルギーを他に向ける事が出来たなら違う人生があったかもしれない。

クミン、コリアンダー、カルダモン、チリペッパー、ガラムマサラターメリック・・。格闘すべきスパイスが沢山あった。カレー粉と呼ばれる粉末は扱いやすいようにそれらをうまくミックスさせた粉だった。それだけを良いのはずだがなにせ凝り性なのでそれらすべてが揃っていた。最初からカレー粉だけをつかえばよかろうに、個々のスパイス小瓶を目分量でガバガバ使うのだった。スパイス類を油を引いたフライパンで熱し香りを出す。そこに玉ねぎを投入しじっくり炒めた。更にに赤唐辛子を一本加えた。立ちどころに唐辛子は赤くテカる。そこに水を足し煮込んだ。これらスパイスだけでは味が出ない。そこで顆粒コンソメの出番だった。どうもあっさりしている。しかしもう一袋コンソメを入れると味が変わりそうだった。塩を足す。トマト水煮缶。だんだん何を作っているのかわから無くなってきたが、フライパンからの匂いだけは本場ものだった。仕方ない、とここはあれほど忌み嫌っているカレールーを一かけらだけ入れて見た。味はまとまった。しかし少しとろみがついた。嫌なのでまた水で薄めた。今度はウスターソースを少々。とうとうとろみは抜けなかった。後悔が残った。

なんとか出来た。やたらと辛いスープになった。トッピング具材は店主のやり方は素揚げと言うが、こちらは僅かの油でじっくりフライパンで焼いた。出来合い品の肉団子、ピーマン、ダイコン、茄子、ジャガイモ、オクラ、椎茸。それらがゴロゴロとしていた。おまけに具材にもカレー粉をかけて焼いていたから問答無用に辛かった。自分は大好きだが妻は辛いものは苦手だった。美味しいけど辛すぎる、そう彼女は言う。こちらはこちらで、体の全細胞が躍動してきた。頭のてっぺんから汗が出てきた。

スパイスは容易ではない。それはそうだ。それが出来ればインド人になれるだろう。

風呂上がりなのに頭が痒くなってきた。頭の毛穴全開だった。体内の悪い気は一巡して毛穴から出ていったように思えた。辛い料理の本領発揮だ。余りに頭の汗と痒みがひどくもう一度頭を洗う羽目になった。とんだ副産物だった。

弁慶の七つ道具の如く各種スパイス小瓶は揃った。スパイス使いは難しい。困難はつらいが楽しい。どう捉えるかは自分次第だろう。

スープカレー二題。左・川崎にあるスープカレー店にて。プロの味を体験。右・自作のイミテーション。スパイス類とコンソメ顆粒だけで作ろうとしたがコクが足らずに一かけらのカレールーにお世話になった。結果味は及第点だがトロミを払拭できずに後悔。サフランが無くご飯にコリアンダーをかけてみたがそれも成功とは言えなかった。次はカレールーは使うまい。

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