日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

スキーと白河ラーメン

一杯のラーメンを目にしていた。その店は間違えなく二回目だった。そしてそれは三十年以上前の話だった。

あの頃毎冬が楽しみだった。行くと思うと胸が踊った。スキーだった。原田知世主演の映画のヒットもありスキー全盛期だった。男同士のスキーは技術的向上を目指している人以外には面白くない。そこに女性が加わると天と地の差が生じる。だから自分も冬になると手を挙げて会社のスキーの幹事をした。多くの女性社員に声をかけたが残念ながら集客能力は高くはなかった。

スキーウェアには功罪があった。誰でもあの服に身を包むとシンデレラになってしまう。特に知世ちゃんが着ていた白のワンピースはとりわけ流行っただろう。すべての女性がとても美しいのだがゴーグルを外すと、あれ?ということもあったかもしれない。可愛くて素敵な彼女はロシニョール。高嶺の花はオーリン、滑りも達者な彼女はダイナスター。男たちも負けずにフィッシャー、クナイスル、ケスレー。いや俺はチャラくないよ、という男はオガサカ。靴もあった。赤いサロモンやグレーのノルディカ。皆がリアエントリーブーツになっていく中で一人黄色いラングを履く男もいた。なるほどと唸った。

自分は当時からラーメンマニアだったこともあり自らがスキーを企画するとその行き先は猪苗代湖裏磐梯と決まっていた。その少し先には喜多方がある。会津らしい古い蔵の街はなぜだろうラーメンの街で、朝六時台から営業しているのだった。スキーの後は喜多方まで立ち寄った。飽き足らずに往復の東北道佐野で途中下車もした。ワクワクするスキーの前に更に沸き立つように、旅の締めに、佐野ラーメンを食べていこう、という計画だった。時にスキー場の河岸を変えた。白河市北側のスキー場も通った。もちろんスキーもさることながら白河ラーメンが目当てだった。やがてスキーが目当てなのかラーメンが目当てなのか判別し難くなり、スキーの会は自然消滅した。

いやバブルが壊れいつかスキーブームは去っていったのだろう。誰もが結婚し仕事が忙しくなったのかもしれない。自分はしつこく家族でスキーをしてきた。子供と滑るのも楽しかったが何よりも新しい技術を覚えたからだった。それは野山をハイキングし登山するための手段としての、テレマークスキーだった。踵を固定しない自由なスキーだった。その技術取得の練習を兼ねてのゲレンデスキーに熱心だった。駅のホームで時折見かけるゴルフスイングをするオジサンのように自分も暇あれば所かまわずに無意識にテレマークターンのカタチの練習をしていた。家族三人は呆れたに違いない。今ではゲレンデスキーはバックカントリースキーのシーズンインの位置づけでリフト数回でおしまいだ。

眼の前のラーメンは、スキー全盛期の頃に会社の皆さんと立ち寄った店だった。福島県白河市、僕は今回その地に住む旧友を訪ね、その帰路だった。一番の有名店は三時間の行列と聞いて諦めた。改めて行った店も有名店だがそこは空いていた。若い頃の勢いとは凄かったな。スキーなら関越道で近場の上越に行けばよいのをわざわざ東北道で遠征していたのだから。あの時は確か今回並ぶのを諦めた店と今日の店をはしごしたはずだ。旗振りの自分も全く愚の骨頂だったが、女性陣も嫌がらずに食べていたのだ。誰もが毎日がとても楽しく、若さゆえに空腹だったのだろう。

流石にもう一軒食べることは出来なかった。懐かしきラーメンは東北らしくしょっぱく切れ味の良い醤油味に肉厚のあるチャーシューがよくにあった。東北は福島と言え決して近くはない。幸いなことに、喜多方も白河もその味を踏襲しているお店は近所にある。それで良いではないか…。しかしもう一度、スキー帰りに食べたいものだ。疲れた体にしょっぱいラーメンは美味しい。そんな事を思いながら汁をすすった。

健康を考え少し残したのが心残りではある。

白河市は南湖にある湖畔亭。三十年ぶり以上の味は何も変わらずにただ美味しい。スキーの後にまた食べたくなった。

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