行政から案内が送られてくるたびに律儀に接種している。コロナワクチンだ。もう今回で七度めだった。
コロナワクチン第一回目接種の時はある種のパニックだったと思う。テレビでおなじみの方々も罹患し逝去され秘密裏のうちに火葬される。罹患すると隔絶される。そんな、恐怖に満ちた未曽有の出来事だった。そもそもワクチンの接種券が来るのに時間がかかった。都内の小さな市に住む友人は一足先に接種券を手にしていた。小さな行政府は小回りがきくなと、羨ましかった。券が来たら来たで今度は接種の予約が取れずに焦った。モデルナが早いらしい、ファイザーの空きがでた、アストラゼネカはどうなったんだ!と毎日緊迫していた。そんなワクチンも三度目か四度目辺りから行政の対応も手慣れてきてワクチン争奪戦も収まったように思う。
いつしかワクチンも五回目となりとうとう今回で7回目だった。そんなに受けていいのだろうか?しかし血液腫瘍の治療を終え喘息を持っている、そんな基礎疾患があるのだからあまり考えずに接種を受けている。なんだか最近は人体実験の検体になった気持ちもする。なるようになれ、と開き直っている。
知人で徹底的にワクチンを受けない方もいらっしゃる。結局彼はワクチンを一度も接種していないが一度コロナに罹患したものの普通に治癒し暮らしている。自分も何度か罹患した。それでは結局ワクチンは何だったのだろう、と思ってしまう。ワクチンを受ける目的は罹患しても軽微に済むように、ということだが、つまりは長生きしたいという意味だろう。
抗がん剤の副作用で白血球と血小板がガクンと減った。抵抗力は落ちて出血したら止まらなくなる。すぐに手が打たれる。白血球はジーラスタ皮下注射をカンフル剤のように打てば増えていく。しかし血小板にはそんな薬はないようだ。結局他人様の血を体に入れることになった。血小板の血液製剤は何故か黄色い。不気味な色だった。これが点滴として体内に入ってくると数分で化学反応が出てくる。激しい痒みと脱力感だった。抗アレルギー剤を注射すると少しは収まるがいたちごっこだった。他人様の血を入れるとはこんなことなのか、と思った。自分はアレルギーが強すぎて医師は途中で点滴を取りやめた。
ワクチンは病原菌を体内に植え付け、後は免疫を作る人間の力に委ねるものだ。やらないで済むのならやりたくないだろう。今回も体は正しく反応してその夜発熱をした。恒例だからなんとも思わないが、本当に良かったのかなと、思うのだった。
病原菌も進化して形を変えていく。ワクチンもそれを追いかけていく。長生きを目指すのは大変だな、と、思う。これ程よく医学が進化していなかった昔は疫病ひとつでバタバタと人は死に絶えきた。それはなくなったがこれからも未知の状況に面するだろう。コロナについては七回目で終わりにしてほしい。しばらくは何も怒らないことを願った。