日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

弁慶の七つ道具

戦国武将にきっとあるのではないか。「壮絶な戦死」という図式。矢が体に刺さりまくり,太刀で体中を斬られ、憤怒の形相で立ったまま絶命する。

実際にそんな武将が居たのかは知らないが、大河ドラマや時代絵巻物などでは描かれそうな光景だ。「弁慶の立ち往生」がそれにあたるのだろうか、と調べてみたら、確かに弁慶は太刀を握ったまま絶命したが、言葉の意味としては「進退窮まった状態」の事を言うと知った。

「絶命」。その単語は、「輝ける生命賛歌」を標榜している自分としては余り書きたくない単語で、少し話を考え直した。

そうだ、弁慶と言えば、七つ道具も有名だろう。熊手、ナイカマ、鉄棒、木槌、ノコギリ、マサカリ、サスマタ、というらしい。中距離と近距離での戦闘にはこれだけの武器があれば、確かに鬼に金棒なのだろうと思う。

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コロナウィルスのワクチン接種が終わった。これで五回目。今年に入ってからも三回。そして秋には例年のインフルエンザの予防接種だ。オミクロンウィルスも、インフルエンザウィルスも、そう簡単には体内に長居させないよ。そんなところだ。

肩にプスリと注射。皮下注射であったり筋肉注射であったり。注射を受けながら考えた。今年一年、一体何度何本の注射針が体に刺さったのだろう。

予防接種だけで四回か。採血になると数えられない。病後のフォローアップでの腫瘍マーカーの測定のために、毎月一回。そして、CT検査の際には、造影剤点滴。市の無料健康診断でも採血。胃カメラの鎮静剤で一回。

全く静脈もたまったものではない。幸いに自分の静脈は看護師も唸るほど立派なものらしい。とても採血しやすいという。そんなために太い静脈を持っているわけではないが、これは看護師にとっては助かるという話だった。静脈の出ない人は採血部を温めたり。それでもだめなら手の甲から採血。確かにそれは痛いだろう。

結局この一年で、軽く二十本の注射針・点滴針が体に刺さったことになる。戦国武者なら憤死するだろう。針が刺さった姿を前向きに捉えて、その針を抜いて矢のごとく背中に背負ったなら、それはなるほど武器になるまいか。なんとも勇ましい姿になるではないか。

弁慶は七つだが、自分は二十と言う事だ。これは強い。鋭い針を吹き矢の様に飛ばしたり、相手に懐深く入られたらこれまたプスリ。そういえばかんざし針を武器にした「必殺仕事人」も居なかっただろうか。中距離・近接格闘、なんでもござれということだ。

でも平和が一番であることに違いない。生きていればお得意の「生命賛歌」も高歌放吟出来るだろう。今日の注射ですべての敵は防いだ。もう、いいでしょう。怨敵はこれで退散。七つ道具の注射針にはご遠慮こうむりたい。

自分の病にももう二度と会わずに、悪疫流行からもさようなら。そんな時が来るのが、まことに待ち遠しい。

これだけ武器があれば、敵はわき目もふらずに退散するだろう。頼もしい限り。