日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

弘法も筆の誤り

点滴、注射、血液検査、輸血、この手の事が連なる自分のような病だと、いずれ腕の血管に「はて、どこに針を刺そうか」と看護師さんは思うようだ。幸いにして自分は腕と血管の太さは密かに自慢だった。特に右腕はぐっと親指を握りしめると明瞭に2本、浮き出てくる。看護師さんは静脈を上からさすって、太い奴を狙う。しかしここまで連日連夜の注射となるとさすがにそうもいかないようだった。

血液製剤輸血の今日、プロである血液内科の看護師も唸った。暖かい保温パックを腕に置いて血管を浮き出させた。しかし無数の注射痕に困ったようだった。あー、と看護師さんはため息を漏らした。「RCHOPみたいだ」と思わずつぶやくのだった。

自分と異なる形の悪性リンパ腫ではRCHOP療法という異なる治療法が用いられ、抗がん剤は自分のRMPV療法とは異なる。それは点滴ではなく注射主体で行われる。自分の場合はいつも二の腕から静脈カテーテルがぶらぶらと出ているのだから、そこに点滴をジョイントすれば良いし、結果確認の採血もそこにシリンジを繋げるだけだった。しかしRCHOP療法では基本注射で投薬という。結果的に腕中が注射痕ばかりになり、さていったいどこに針を刺せばいいのやら?という状況のようだ。

自分のRMPV療法は予定していたクールも終えてカテーテルは抜管された。その後の抗がん剤点滴は、都度都度の点滴針、注射針を刺すことになった。

わずかの逡巡のあと看護師さんはようやく「ここだ」と決めて針を刺したものの、点滴管内に静脈からのブローバックがなかった。あれ、と言いながら挿入した針を動かし、探り始めた。これは痛い。結局そこをやめて新たな箇所へ。こちらはオッケー、一発でブローバックもあり無事に血液製剤が点滴され始めたのだった。すると最初の注射痕からも明瞭な出血があった。看護師さんは少し迷ったものの結局上手く静脈をあてていたのだ。

「弘法も筆の誤り」か、勘弁してほしいな。

いや、まてよ、筆の誤りどころか、そもそも弘法大師でいること自体が凄い話だ。そこに筆の誤りを指摘して何になろう。むしろ自分の手の握り方でも悪かったのではないか。看護師さんはいったいこれまでに一体何度注射針や点滴針を刺してきたことだろうか。進入角度、進入速度に気を遣う。間違って神経に触れたらどうなるのか。静脈の太い人、細い人、場合によっては手の甲から採決することもあるだろう。刺される側からもそれは人により異なる。全く痛みを感じない時もあればチクり、いやそれ以上の時もある。そんなことを日々何度も何度も普通にこなしている看護師さんの「一刺し」はまさに偉業ではないか。

まずは弘法太子様がいらっしゃることに感謝。多少の筆のブレはあろうが彼女たちは確実に薬剤を静脈に入れてくれ、採血してくれる。下手な心配は、なしだな。

あと10回程度の注射針で自分の全ての治療とそれに伴う検査が終わるはずだ。その時は更に注射針を刺す場所に困るかもしれない。しかし確実にやってくれるだろう。心の中で弘法太子に合掌だ。何よりも、もう少し頑張れ俺の体。

(記:2021年6月)

点滴の針も、採血の針も進化していた。点滴針は金属の針が真ん中にありその周りをプラスチックのカテーテルが覆っている二重構造という。刺したら金属針を抜く。プラスチックのカテーテルは多少の部位の動きを許容する。そんな針を自在に扱う看護師さん。いつも見事な一刺しに、筆の誤りを指摘するのは間違えだった。あるのは、感謝のみ。