小さな会社で仕事を始めた。規模が小さいのでこれと言った組織もなく、あえて組織図を描くのなら誰もが社長にぶら下がっているような絵柄になる。それが悪いことはない。コンパクトな会社には家族的な良さがある。経営者の顔が見えて息づかいが伝わることは従業員にとりとても大切だ。
そんな中で自分の採用の際に社長から言われた。いろいろ気づいた所があれば手を入れて、風通しを良くしてほしいと。恐れ多くてとても拝命できる仕事ではなかったけれど自分を推薦してくれた長年の友人の顔もある。役に立てないと判断されたら躊躇せずにクビにしてください、そうお願いした。
メンバーの業務フローを聞いた、話好きだが聞き上手ではない自分はこんな時に苦労する。すぐに「だからあ」と出てしまう。そういえば現役の頃の自分の英語にこんな常套句があった。「To cut the story short...」そんなフレーズを前置きしてあなたはこう言いたいのですね、と続けるのだった。アメリカに駐在して多くのスラングを操っていた上司がいつも口にしていたので覚えてしまった。「話を簡単にするならば…」になるだろう。話の腰を折るようなかなり強引な会話の終え方でもある。いつかそれはすっかり自分の言葉になってしまった。「要は、こうですね」、と直ぐに口にする。フレンドリーな人間を目指しているが、そうはいかない。要領を得ない、回り道をする会話にを前にすると、イライラしてくるのだった。
メンバーの話は時に遠回りするのであの常套句が違う言葉で出てくる。お話はわかりました、それで…と。
まだまだ会社の流れも見えないし大きなモヤが感じられる。その正体がつかめない。そこで幾つかの社内の資料を少しいじって情報の可視化を考えた。また新たな会議体も設定しようとした。しかしメンバーは、こう言う。何故自分達の資料をいじるのですか?その打ち合わせはなぜやるのですか?趣旨をよく説明してくださいと。
何事もまずは合意形成。時間をかけて予めに。これだと勝手に決めても誰もついてこないしそれが続けば自分は孤立するだろう。悪い癖は直らないのだな、そう思う。勝手に決めて酷いです。そうこれまでも言われてきたではないか。そして決め事も空回りをし始めて自分は挫折を知ったのだ。
もう還暦を超えたのだし今更ガツガツ仕事をするわけもない。年齢的に丸くなるべきだ。言いたいことも浮かぶだろうがまず飲み込む。今日こそ丁寧に話を聞いてゆっくりと案を考えよう。そしてそれはそのまま家庭の生活にも当てはまる。最大の被害者は誰だったのだろうと思うと申し訳ない話になってしまう。自分は変わらなくてはいけない。悪い癖には引っ込んでもらいたい。