日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

焼き茄子を生姜醤油で頂きます

一年中スーパーにあるにもかかわらず、なぜ茄子は夏の野菜と言われるのだろう。しかし妻もスーパーで茄子を見て言うのだ。「あぁ夏だね、茄子が美味しそう」。

そうかな、自分は年中茄子を食材にしてきたし、妻も一年中それを食べてきたのだ。それに季節によって実の塾し方がそう違う訳でもない。何故だろう。

「タライに張った水の中に胡瓜とトマトを浮かべる」。昔の日本の夏の縁側に普通にあった風景だろうか。しかしそこには茄子はなかった。だが確かに妻にそう言われれば「なるほどこれは夏の野菜だな」と肯いてしまう。そうか。真夏の暑い日にあの紫色の体はすこし見た目の涼味をくれるのかもしれない。あの色をして茄子は夏の風物詩であり「暑中見舞い」の野菜なのかもしれない。

近所に住む母とはたまに家を訪れて世間話をする程度。といって母と会っても会話が弾む事もなく、世間話は妻に任せてしまう。自分は自分で体調確認などの用事が済むと、あとは早く帰りたくてそわそわしてくる。父に対しては成人したての頃は反発したが後に彼の事はよく理解出来たし感謝もあった。なにせ今よりももっと全てが激烈だったであろうあの時代に、よく働いたものだと思う。しかし、母への感情は別だ。母親と息子の距離感は難しいのだろうか。

それは個々のケースによるだろう。上手く関係を構築している場合もあるに違いない。

上に姉がいたにしても長男の自分には、今思うと様々なプレッシャーがあったと思う。戦前生まれの価値観なのか「長男はこうではなくてはいけない。」といった考えに固執した。また社会人になってすぐの姉に待ち受けていたのは何度ものお見合いだった。姉は当時それをどう受け取ったのだろう。そして自分に対しては、体が丈夫ではなかった子供時代に何度病院に連れて行ったか、お父さんは何度も転勤して皆を養ったか、そんな話ばかり。いつか聞くのも嫌になり、自分にとって母は苦手な存在になっていた。

年齢を経て母はますます頑迷になってきたように思える。体調が悪い、と病院に連れて行っても、処方された薬をまともに飲んだためしがない。薬は体に良くない、自然治癒したい、と言う。ならば病院は不要ではないか。

万事がこうなのだから、疲れるのだ。

近年は近くのスーパーに行くのも疲れるというので時々ともに買い物に出かける。少し遠いが大型店に連れて行った。店内で迷子にならぬよう、母のカートの直ぐ後に妻のカートを続けてもらった。豊かな品揃えと人混みは久しぶりの新鮮さなのか、母は曲がった腰を買い物カートに預けながらもよく歩いた。普段でもこれだけ歩けば体にもよかろうに。会計のレジで驚いた。大振りの茄子が入った袋を2つ入れている。こんなにどうするのだろう。

「焼いて生姜醤油で食べると美味しい、」と母は言うのだった。

ふと、そう、それはまるで体の芯に電気が走ったように、思い出した。魚網を使ってガスレンジの上で、そういえば焼き茄子をよく作ってくれたな。それは大皿に金色の「おろしがね」でおろした生姜とその汁と共に盛られていた。母は指先にけがをしそうな迄力を入れて生姜をおろしていたな。

あの頃は茄子の食感も、そして生姜自体も苦手だった。しかし暑い夏に、体を冷やさないようにと生姜で食べる「焼き茄子」は、今思うと美味しそうに思える。何より冷えたビールに最高に似合いそうなのだ。するとあれは父の好みだったのだろうか。それもわからない。

結婚して親元を離れてもう30年以上経つ。妻と過ごした時間がはるかに長くなり、いつしか母の料理は忘れてしまった。年老いて料理を作るのも一苦労になった母は、今はスーパーの出来合い総菜を使っているようだった。

今日は少しだけ母にしては手の込んだ料理になったのだろうか。母につられて我が家も今日は茄子を買った。漬物につける、パスタに使う。長ネギを沢山載せて揚げびたしにする。そうか、数本は単に焼いて生姜醤油で食べてみるか。懐かしい味がするに違いない。

その味に触れると、少しだけ母との距離が縮まるのかもしれない。いや距離感は自分の中の話。それはその気になれば如何ようにもなりそうなものだ。

まぁそれも少しづつ。茄子は確かに「暑中見舞い」の季節がベストかもしれないが、なにせ一年中美味しいのだから。

一年中ある茄子も、確かに夏が一番おいしいのかもしれません。暑中見舞いの野菜。さて、網で焼いて、生姜醤油で頂きますか。何か良いことがあるかもしれません。