元気があれば、何でもできる。行くぞぉ、イチニイサン。ダァーッ!!
首には赤い闘魂タオル。ダァーがパフォーマンス性を帯びてきたのは彼が議員になる前くらいだろうか。その前は純粋に試合での勝利の雄叫びだったと記憶する。
自分の父は昭和一桁。もう、90歳をとうに超えた。典型的な昭和のオトーサンだった父は仕事一筋、サラリーマンの鑑だったかもしれない。無理もない、高度成長期を支えた、誰もが猛烈社員だぅた時代だった。
趣味はなかったと記憶する。ゴルフは仕事柄いやいややっていた。しかし唯一覚えているのは「プロレス観戦」だった。
やらせでしよ、八百長だよね、筋書き通りだよ。様々な声もありそれを真実と知っても、父のテレビに付き合った自分もまたプロレス少年だった。既に国際プロレスは弱体化し、ジャイアント馬場の全日本プロレス、アントニオ猪木の新日本プロレス、と相場は決まっていた。技の受け応えに鷹揚な馬場の試合は見ていてつまらなく、スピードに溢れる猪木に釘付けだった。門下生も藤波や佐山など、クイックだった。
簡単に言うと。自分もまた世にいう「猪木信者」だったのだろう。本屋での週刊プロレス、ゴング、ビッグレスラー。この三誌は欠かさず立ち読みしていた。猪木王国が長州力の離脱や前田、佐山の自立などで元気を失っていくのもこの頃だ。
いつしか猪木は国会議員となり、イラクにわたり日本人人質開放や北朝鮮での親睦試合など、政治家としてもスタンドプレーぽくなり、興味を失った。
たまに実家に帰ると、すでに定年退職していた父親は飽きもせずにビデオで録画したプロレス観戦をしていた。映像もすでに蝶野・橋本・武藤の闘魂三銃士の時代であったが、父が如何に熱中して見ていたかは、観戦の際に握る手のひらの加減でわかったのだ。とても力が入っていた。
そんな父も今は介護施設にいる。糖尿病が彼の行動の自由を奪ったのだった。入所してから3年近い。外界との接触が失われた父は認知力も低下していくようだった。その間に自分も社会人を辞めその直後に病になった。そのことも父は知らないだろう。
先日の訪問の際に父は言った。「本が読みたい」と。
もう視力も殆どないのに果たして読めるのだろうか。半信半疑ながら書棚から一冊の文庫本を抜いて、持っていった。
裏表紙には、ギリシャ彫刻のように筋骨隆々としたプロレスラーが赤いタオルを首にかけた写真が印刷されている。
「お父さん、これ誰だかわかる?」
すると答えた。「トヨノボリ」と。
豊登のはずもない。力道山の頃から父はプロレスが好きだったのだろう。力道山の門下生の名前が出てきたことに自分は新鮮な驚きを感じた。
これは猪木だよ。僕らの住む街に住んでたんだよ。子供の頃ブラジルに渡り力道山にスカウトされてプロレスラー。ほら、コブラツイストとか卍固めとか、お父さん固まって見ていたよな。大好きだったでしょ。複数の離婚や事業の失敗。立ち直り。波乱万丈の人生があったとこの本に書いてあるよ。
父は力なく本を手にとって、少し開いて閉じた。そして自分に返した。
最後まで元気を売り物にしていた猪木も病に負けて鬼籍に入ってしまった。元気ですかぁ、は、そうありたいという彼の心の叫びだったのだろう。
この本を読んでもらったら父親も元気を取り戻すか、とも思った。しかしそれはなかった。
無理もない。ただ毎日が平穏に過ぎてくれればそれで良い。この年齢になり、父親のことは少しわかるようになった。仕事に集中していたことは尊敬できるしよくぞ育ててくれたと素直にいえる。ただ一つだけ後悔があるとしたら、家族として糖尿病だけはもっと早く足を洗うように強く言えばよかったと言うことだ。
健康でピンピンしている同年代の方も仕事ではよく見かける。しかしそれを言っても仕方ない。このまま、つつがなく暮らしてほしいだけだ。父のおかげで自分はある。感謝しかない。
今度話しかけてみよう。元気ですかぁ、と。