日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

さんぽ

あんまり元気に歌わないでね。そう男性が声をかけている。車椅子で歌うのは女性だ。年齢からみて父と娘か、いや、祖父と孫か。もう一人の女性も付き添っていた。父と娘そしてその娘。言い換えれば母子とその父親、祖父と子と孫。そんな関係だろう。車いすの女性は年齢がよくわからない。二十代にも三十代にも思えた。

彼女はしかし繰り返す。「♪あるこ、あるこ、わたしはげんき」と。場違いで調子のはずれた呑気な歌声は病院の白い壁に少しだけ反響していた。僕はその歌を知っていた。諳んじている。それどころか僕も大声で歌ってきた。森に棲み、傘をさして空を飛ぶ。ときに猫型のバスにもなる。幼い姉妹は森でそんな大きな妖精に出会う。彼は勇気と笑顔をくれるのだ。

マイクを奪いその歌を唄う女性が居た。その歌のイントロが流れると彼女ははしゃいだ。言葉になっていない唸り声だけだった。しかし横に立つお母さんが明るく歌っている。そして僕も手拍子を打って精一杯歌う。この歌は彼女の十八番だった。共に歌うお母さんは自分と同年代か少し年上だった。同様な親子が何組かいらした。

月に一度、僕はそんな親子とゲームなどをして遊んでいた。そこは高齢者デイサービスを兼ねた地域交流センターだった。様々な団体がその施設を利用していた。自分はそこでのパートタイム従業員だった。彼・彼女達は親と共にそこに来て遊ぶのだった。職員である自分達と彼らで遊ぶ。そしてそこには親同士の交流も生まれ明日への会話が始まる。それが狙いだった。そんな会合の仕掛人は職場の地域交流担当の職員さんで、毎回懸命に趣向を凝らしていた。福笑い、トランプ、射的、ボッチャ、椅子取り、トランプ、カラオケ。どの回も本人たちも、その親御さんも嬉しそうだった。

親御さんは誰も強かった。そうならざるを得ない、全てを受け入れ共に生きるという覚悟が必要なのだろう。明るく日々を過ごしているようにも見える。発達が未熟なお子様でも成人を迎える。そして親も老いていく。その先は。僕はそのことを考えてしまうが、忘れようとこの歌を唄うのだった。

山の見える高原の地へ引っ越すためにその仕事は辞めた。彼らはどうなったのだろうと思う事もある。しかし同時に母親たちの強いまなざしを思い出す。彼らには森の妖精がついている。日々は誰にも公平に過ぎていくだけだ。

引っ越した地で新たに通院し始めた病院で、今日またあの歌を聞いたのだ。「さんぽ」という歌だった。森の妖精は誰からも愛されている。不安があれば危険があれば風に乗ってやってきてくれるのだ。看護師に受付番号を呼ばれ車椅子の三人連れは廊下の奥に消えた。車いすの彼女が歌うトトロの歌だけが耳に残った。

それは僕にはこう聞こえた。病気なんて気にしないで、今生きている事こそが大切なのよ、だから前を見てお散歩しよう、と。ふと毎月の腫瘍マーカーに一喜一憂している自分がひどく小さなものに思えた。自分自身も稀な病に罹患したが、また、新生児の頃からずっと障害を抱えて今を生き抜いている人、見守る家族がいるのも事実だった。哀しみや不安の比較など意味もない。現状を理解し受け入れ、先を見る。ひどく当たり前の事だった。

誰もが唄う「さんぽ」。彼らも親御さんも、そして僕も歩く。前に向かって。