日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

数え歌

♪ひとつとせぇ
ひぃろいグランド駆け回る
足の大下 先取点
そいつぁ豪気だね、そいつぁ豪気だね♪

今年は広島カープがクライマックス・シリーズに出場して阪神タイガースと戦っている。日本シリーズを目指している。

子供の頃の自分の写真を見るとジャイアンツの野球帽を被っている。横浜の小学生は誰もがそうだった。当時横浜には球団がなくベイスターズは川崎の大洋ホエールズだった。川上監督のV9達成の頃だった。王、長嶋ばかりでなく全ての選手がヒーローだった。誰もが打順を諳んじていた。小学校を卒業して父親の転勤で広島に引っ越した。その時は四月から広島東洋カープは好調だった。クラスメートは言うのだった。「ここは広島じゃ。カープを応援せんにゃ」と。僕はその言葉に中央文化に対する反発を感じた。人生初の疎外感を味わった。

カープはその後も好調を維持した。「カープ数え歌」という歌がある。「原爆許すまじ」に加えて広島の人なら誰でも歌えるだろう。ともに異邦人の自分でも覚えてしまった。前者は1番は俊足の大下選手。2番は、そして、9番まで。打順通りの選手の数え歌だった。何故覚えたか?前者は事あるごとに授業中に教師が歌うからだった。後者は平和教育の授業で習うからだった。初優勝は町あげての大騒ぎだった。紙屋町はどよめき中国新聞の号外が舞った。

郷土愛という三文字の言葉で表しきれないものがあったのだろう。原爆で一瞬に街がなくなりここまで復興した。広島市民球場原爆ドームのはす向かいにあった。復興のシンボルだったかもしれない。良くぞここまで、と万感だったろう。

高校の頃クラスに七尾さんという女子がいた。大阪からやってきた彼女は光の輪を写すショートカットが可愛かった。渦巻く広島弁の中で大阪弁を通す彼女は光って見えた。では彼女は孤立していたのかと言うとそうでもなかった。仲良しは多くいつも笑顔だったから。片意地を張らずにありのままだなと思った。僕はといえば広島弁をすぐに覚えて嬉しかったが、いつも異邦人の気持ちが奥底にあり、それを隠していた。そんな中いつか彼女に憧れていた。自己をしっかり持つ女性に見えた。

45年ぶりの中学同窓会が広島であった。広島市民球場はとうに無く、マツダスタジアムだった。会場では思い出せない人もいらしたがすぐにわかるメンツも多かった。憧れの女子は当時何人かいたが直ぐにわかった。同窓生のグループラインに参加させて頂いた。目下その中のやり取りではクライマックス・シリーズでの「ワシらのカープ」への熱いメッセージと一喜一憂が応援歌のように飛び交っている。

広島に住んだ期間は僅かに六年だった。二つの歌とクラスメートから僕は大きなことを得たと思う。郷土を愛する気持ち、平和の大切さ、自己を見失わない事だった。そんな大切なことを教わった貴重な自我形成期だったと思う。

今広島の街では何が起きているのだろう。♪一つとせぇ。と数え歌は街中に響き渡っているのだろうか?700キロ西の街にエールを送っている。皆が嬉しければ、それが一番だ。

懐かしき町の球団。街と球団は様々な意味で自分を目覚めてさせてくれたのだろう。勝利の旗を持って帰って欲しいものだ。

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